舞台はベラルーシでナレーションは全てロシア語ですが、監督はなんと日本の写真家(本橋成一)で、音楽は坂本龍一。なんかスゴイ。
そこに描かれていたのは、とある小さな村にこんこんと湧き続ける泉と、その泉を大切に守りながら自給自足の生活を続けている村人達の姿でした。ほとんとが高齢者というブジシチェの村で、アレクセイという若者だけが働き手として村に残っています。
雪が降る冬の日も、毎日バケツを持って泉の水を汲むアレクセイ。その隣には泉の水を使った洗濯場があり、ばあさま達が板の上で洗い物に石鹸をこすり付け、泉の水ですすぎます。この湧き水の存在が、村人の生活を支えているのです。
村には水道もガスもなく、電気もほとんど使いません。ペチカと呼ばれる暖炉兼オーブンが未だに現役で、煮炊きは全て薪をくべて行っています。ばあさま達は昔ながらの道具で糸を紡ぎ、織物を織ります。じいさま達は木を切り倒し、斧ひとつで器用に木組みを作り、釘ひとつ使わずに仕上げます。ほとんどお金を使わない生活なので、年金を貰っても誰も貯蓄などせずに、塩や石鹸やウォッカなどを買って飄々と暮らしているのが素敵。
この映画を観ていると、ブジシチェの平和で愉快な村の暮らしにほのぼのとした気分になってきてしまうのです。豊かな自然に囲まれたナチュラルな暮らしに憧れを感じるのは、自分が都会育ちだからかも知れないけど。。。ですが、この舞台はちょっと特殊な環境にあります。
実は現在、地図上にブジシチェという地名は存在していません。1986年のチェルノブイリ事故で高濃度の汚染を受けたブジシチェ村は廃村となり、子供達を含めたほとんどの村人が政府の勧告に従って町へと移住しました。特に付近の森はかなり濃度が高く、事故から14年後の撮影中にも測定器が鳴り続ける状態だったといいます。
そんなブジシチェの村にただひとつ奇跡が。。。
なんと彼らの湧き水は全く汚染されていなかったのです。
「保健局の人は、ここで暮らすと病気になるという。彼らは僕たちを説得しようと、泉の水を持ち帰って調べた。だけど放射能は全く検出されなかった。僕たちの泉はキレイだった」
この映画の美しさはここに集約されている気がしてなりません。
参考までに、2001年当時のブジシチェ村のセシウム(137Cs)の値が載ってました:
単位:キュリー/平方キロ (Ci/Km2)、2001年5月19日測定
- パーティの広場 -- 6
- ジャガイモ畑 ----- 10~12
- 学校跡地 -------- 20
- 薪をとった森 ----- 60~150
- 泉の水 ----------- 検出されず
本日4/26はチェルノブイリ事故から25年目にあたるそうです。上記のセシウム137の半減期は30年だそうですから、あと5年待ってやっと半分という事でしょうか。
まあ半減期の話はさておき。。。
もしかしたら日本にもあるかも知れません、奇跡の泉。