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2016年5月31日

GARMIN最新情報 2016

大陸横断の最新情報つづき。GARMINのカーナビを取り巻く状況が、どうも6年前とは異なってきているという話もカメちゃんから聞きました。今はGARMIN nuviがどこにも安く売ってないというのです。まさかと思ってAmazonで見たら、確かに新品のnuviは3万円以上もしてる!(6年前は新品でも1.5万円から豊富に選択肢がありました)

思えば近所のヨドバシの店頭からnuviが消えて久しいですが、ネットでもnuvi売り切れは時間の問題かも知れません。こんな事態になってるとは知らなかった~(汗)。そのうち私のnuviもプレミア付くかも知れないなあ。
最近の日本は、スマホのカーナビアプリ(無料or有料でも安価)が便利になってきているので、カーナビ専用のGPSデバイスを買わなくても済むようになったのもnuvi低迷の一因かも知れません。

しかし、いま大陸横断横断をする旅行者にとっては、GARMIN nuviはマストアイテムです。
GARMIN製品は、オープンソースの世界地図OpenStreetMapを使ってナビゲーションできる唯一のGPSデバイスであり、他のカーナビがどんなに優れていようと、この一点だけで圧倒的に存在価値があります(※)。特に僻地を走る人にとって、海外でOSM地図を使えるかどうかは旅のスケジュールと安全確保にも影響します。

※注: 忘れないでくださいね!OSM地図に関わった一部のフリーダムな天才たちが、GARMIN端末でも僻地の地図データを使えるようにとボランティア精神で努力したからこそ、このような魔法が可能なのです。いっぽう、GARMIN社は決して、一円の得にもならないOSM地図を容認しているわけではありません。この点は非常に重要なので、取り違えないで欲しいです。OSM地図を仕込んだ方は、くれぐれもGARMIN社の不利益になるような言動は慎んでください。

****

★GARMINって本当に必要?

もちろん20年くらい前まで、誰もカーナビなど使わずに旅してましたから大陸横断にGARMINが必須というわけではありません。ただ、20年前の旅人はだいたい一大決心のうえ仕事を辞めてオフロードバイクで何年もかけて世界を放浪するスタイルが多く、時間がほぼ無制限に使えたから紙地図+野生のカンだけで済んでいた、という側面もありました。

また、20年前に海外を走っていたのは日本三周分くらい走り尽くしたベテラン旅行者ばかりだったように記憶しています。こうしたエクストリーム旅行者はトリップメータひとつで正確な現在位置を割り出す術に長けていましたし、危険に対する独特の嗅覚を持っていることが多く、海外で事件に巻き込まれることは稀でした。

しかし今は、車中泊の経験がなく長距離走行もしたことがないという方が、半年に満たないスケジュールでロシア~ヨーロッパ横断を目指すことも増えてきたように感じます。大陸横断の敷居が低くなってきたのは歓迎すべき事とはいえ、危険察知力を磨く時間がないまま、いきなり世界の僻地シベリアを走る恰好になるのは仕方ありません。そのような挑戦者にとって、GARMIN端末で安全を担保するのは正しい選択だと思います。(シベリアの一部区間は犯罪が多く、危険地帯であることは記憶に留めておきたいものです)

また、ヨーロッパやアメリカなどの旅費がかさむ先進国では、GARMIN純正マップを使うことでキャンプ場、スーパーマーケット、ガソリンスタンド、トイレ付きパーキングエリアといった施設を簡単に検索することができ、宿泊費や食費をかなり圧縮することができます。純正マップは非常に高価ですが、このマップのお陰で節約できる金額を思えば簡単にモトが取れます。(OpenStreetMapの施設情報がイマイチだからこそ、GARMIN純正マップに価値があるのです)

あと、「スマホやタブレット端末でGoogle Mapを使えばGARMINは要らない」と思っている若い世代にも一言!確かにスマホにもGPSが搭載されています。ですが、2016年現在のGoogle Mapアプリの仕様では、モバイル通信の電波が届かない僻地では周辺地図を取得することが出来ないのでナビには使えません。ぜひいちど電波の届かない山奥でどうなるか試してみてください。

ただし近い将来、モバイル端末の大容量化がもっと進めば、世界全土のオフライン地図に対応したアプリも出てくると予想されます。そのとき初めて、GARMIN端末ナシでも世界を駆けることが出来るようになるのでしょう。そのような信頼性の高いアプリが出たときには改めて情報更新したいと思います。
→たとえば2016年現在、北米限定ですが「Garmin N.America」というアプリが¥7400でリリースされています。もちろんオフライン対応だそうです。こういうアプリなら使えると思います。

****

閑話休題。
2016年現在、GARMIN nuviはネット販売で手に入りにくくなっても、まだまだ店頭では販売されています。日本におけるGARMIN製品の総代理店は「いいよねっと」という会社で、の全国nuvi取扱い店舗の一覧を掲載しています。これを見ると、どうも今では電器系の店よりもイエローハットのようなカー用品店のほうが入手しやすそうですね。
訂正。カメちゃんはこの一覧に乗ってるカー用品店に片っ端から電話して問い合わせたけど、いまやどこにもGARMIN nuviを取り扱っている実店舗は無かったそうです。なんということでしょう。(llʘิДʘิll) 

かくなる上は、アメリカかヨーロッパのネット店舗から取り寄せるしかないですね。いまちょこっと調べた感じだと、amazon.comとかamazon.co.ukにはまだまだnuviの取り扱いが豊富にあるようですし、価格帯も$100~と手が出しやすい印象です。(もしロシア横断してヨーロッパ行かれるなら、ヨーロッパ地図が最初から入っているヨーロッパ版を入手するのが断然オトク!amazon.co.ukのほうにはFull Europe Maps版があります。ロシア地図のほうはOSM等を使って何とかしてください)

もしかしたら、今後はもう国内で新品のnuviを入手することは出来ないかも知れませんが、「命の安全」「時間の節約」「旅費の節約」といった、お金に代えられない価値があることをよく認識されたうえで購入検討してください。その意味を考えれば、3-4万円でも決して高いとは言えないと思います。

そして、できれば出発の直前ではなく、半年以上前にnuviを購入して日本国内で操作方法を熟知して欲しいと思います。GARMINはアメリカ製なので、日本で普及している多くのカーナビとは操作感が異なるからです。(nuviは日本では使い勝手がイマイチという評判もありますが、GARMINのインタフェースはシンプルであるがゆえに、GPS精度と反応速度はなかなかのものです)
見渡す限り地平線が続くようなところを何時間も走る時にこそ、大きな助けになると思います。

そして、少しでも多くの人に、安全な大陸横断をしていただきたいと願っています。



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2016年5月30日

ロシアビザ最新情報 2016

休眠中の当ブログですが、ありがたいことに(!?)、毎年ポツポツと大陸横断に関するお問い合わせを頂いております。ただ、私の大陸横断旅行は6年くらい前の話になるので、一部の情報がだいぶ古くなっていることは否定できません。
そんな折、今年7月にロシアに出発予定のカメちゃんから、今のロシアビザの要件や手続きはこのように変わってきているよ!という情報を頂きましたので、シェアさせていただきます。

まず、ロシア横断者であれば必ず取得するであろうビジネスビザ(業務ビザ)について。ビジネスビザは申請が簡素化された代わりに、要件がだいぶ細かく規定されました。 ※詳しくはロシア大使館のビザのページをご覧ください。

これによると、ジャーナリストや学術関係者の方は以前より取得しやすくなったと言えます。ただ、そういった団体・組織・文筆活動に属さない人のほうが大半でしょうから、私の率直な印象は「ほとんどの旅行者にとっては昔より面倒くさくなったな。。。」という感じです。

具体的にどう面倒かというと、ビジネスビザの招待状(visa support)を発行してくれた各種サービス(Way to Russia など)の申請フォームが大幅に変更されています。「訪問先の団体組織 (所在地や代表者名etc)」「訪問の目的 (まさか旅行とは書けない!?)」といった項目が追加されていて、ぶっちゃけロシアに縁もゆかりもない人にとってはハードルが高くなりました。

そこでカメちゃんがどうしたかというと、日本国内の「ロシアビザセンター」というビザ取得代行サービスを使うことにしたそうです。ビジネスビザ取得もお願いできて、料金は3~4万円。フォームの入力項目も必要最低限でだいぶラクチン!私も、いまならこちらのサービスの利用をお勧めします。

このロシアビザセンターの3-4万がリーズナブルだと思う理由ですが。。。
昔の私のようにWay to Russia等を使って自力で招待状(visa support)を発行して貰っても2万円前後はかかりますし、結局それで手に入るのは招待状まで。ビザは平日に休みをとって大使館まで行って自力でゲットしなければなりません(これが結構な手間)。ですが、ロシアビザセンターに頼めば「招待状を通り越してビザまで一気にゲット」というのが素晴らしいです。しかも日本のサービスですから、日本語で問合せもできます。これはお金払う価値あると思います。カメちゃん、ナイス情報ありがとう!

なお、最新のロシアビザ情報は、ロシア大使館のビザのページ に随時掲載されています。近年中にロシア横断に出発される方は、当ブログの古い記事は信用せずに、必ずこちらを参照してくださいね。(^^;)

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2014年10月29日

ミーハの急逝を悼む

2010年7月、シベリアで毎晩キャンプしてた時のミーハ
2010年のロシア横断中ずっとつかず離れずで見守ってくれた恩人・野生児・お医者さんだったミーハと、ヴォロネジで暖かく迎えてくれたお姉さんのターニャ。私がロシア旅行で得た宝といえば、この2人との出会いに尽きます。

その後ミーハは恋人のレラと結婚し、サンクトペテルブルグで幸せに暮らしていたそうです。そして姉のターニャは、ついに念願の子宝に恵まれ、セルゲイとの間に可愛い男の子ができました。ロシアで出会った他の若いカップルにも、次々と子供ができてベビーブームです。ここ数年、東京に届くのは全てハッピーな便りばかりで、ロシアではすべてが順風満帆かに思えるものばかりでした。

突然、ミーハが火事で亡くなったと知らされるまでは。。。

その日、ミーハ達は友達と総勢6人で奥さんのレラのダーチャに出かけていたそうです。
(ダーチャというのはロシアではごく普通の菜園つき別荘で、多くは木造です。)

事件のあった時、3人はちょうど外出しており、ミーハと親友イヴァンを含む3人は2階で寝ていたそうですが、わずかな間になんらかの理由で1階から出火し、木造のダーチャは瞬く間に炎に包まれてしまったのだそうです。
2階で寝ていたうちの1人は火災に気づき、窓から飛び降りて助かったそうですが。。。
焼け跡から、ソファのあった位置に寝姿のままの2人が発見されたそうです。
眠ったまま息絶えたらしく、苦しむことはなかったと聞いています。

ミーハとともに亡くなったイヴァンは、共にサハリン出身でミーハとは12歳からの親友だったそうです。一緒に旅した親友アレクサンドルからも私あてに哀悼の連絡がありました。
なにより最愛の弟を突然の火事で失ったターニャの嘆きは想像を絶するもので、とても心中を察することはできません。。。彼女の心が癒える日は来るのでしょうか。今はまだ、誰にも分かりません。

自然を愛し、ワイルドで野生児だった裸足のミーハ。粗野でぶっきらぼうだけど、度胸のない私をいつも気にかけてくれてロシア全土を導いてくれたミーハ。チタでの彼との偶然の出会いがなければ、いち旅行者としてこれほど大勢のロシア人の友達に恵まれることは決してなかったと思います。

10月25日に故郷のサハリンで葬儀が行われたそうです。享年29歳。
あのシベリア珍道中での彼のサバイバル能力の高さを思い出すたびに信じられない気持ちでいっぱいです。こいつは絶対に殺しても死なない奴だと思っていたのに。。。
何か、私まで心に穴があいてしまったような気持ちです。

※ミーハと初めて出会った日の記事はこちら(2010.7.4)
※最後にお別れした日の記事はこちら(2010.9.6)

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2012年6月4日

Another young overlander goes!


Ryotaro Tanaka (24) is departing Japan on 28th June. (See nice smile on his face :-)

The vehicle is Subaru Legacy. He'll be driving across Russia to Geneva, where his family awaits.  I was really happy to hear that he'd start his trip from Sakhalin, remembering my own first day in Korsakov.

I took this photo just before his departure. The really awesome thing about his vehicle was that he hasn't modified anything at all!!  Not even an extra gas tank nor a roof carrier. His policy is symbolized in a way-too-small J mark on the rear...  "I don't want make this car look like a typical overlander. I'm just visiting my neighbors."

By the way, he's a professional mechanic and speaks good English.
In Japan, not so many people are destined to cross the borders, but obviously he seems to be!

前回の2人組の大陸横断に続き、6月下旬にもう一人の旅人がロシア横断に出発します。
田中亮太郎君(24)、ご覧の通りの若きナイスガイ。3月ごろに連絡貰って、何度か国境越えの与太話をしたり、GWに木賊シルクバレーキャンプ場まで来てくれたり、今ではすっかり大陸横断同好会のメンバー入り決定です。(そんなアホな同好会は青山の妄想の中にしかありませんが)

そしてなんと彼の予定ルートは、サハリン発のジュネーブ(スイス)行き!「北欧経由でほとんど同じルートで行きますよ」とのことで、応援にもつい力がこもる青山でした。頑張れ~!

田中君の車両はどノーマルのレガシイです。彼自身メカニックなので最低限のメンテナンスはしっかりやってありますが、余計な改造は一切なし。この謙虚な感じが素晴らしすぎる。

しかも木賊キャンプに駆けつけてくれた時は、ほぼ全員初対面にも関わらず、オーナーの小川さんをはじめオジサマ達にたいそう可愛がられていたのが印象的でした。

うん、これだったら世界中どこ行っても心配ないですね。ぜひ安全運転で!ボンボヤージュ!

※追記:6/28に稚内からサハリン入り、30日にはもうハバロフスクに着いたと連絡ありました。はやっ!かなり快調に飛ばしているようです。

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2012年5月23日

ロシア横断の安全対策

今年、これからロシア横断に向けて出発される方もいらっしゃると思うので、注意喚起です。
5月22日、シベリアをツーリング中の日本人ライダーがチタ~ウラン・ウデ間のヒロク周辺(地図はこちら)で刺殺されるという事件がありました。(記事1/記事2)
詳しいことは分かりませんが、どうも幹線道路沿いでキャンプしていた所を何者かに襲われたようです。

私個人の感想としては、ロシアは素朴で暖かい人が多く、決して危険だとは思いません。だけど、日本と同じレベルの治安を前提にして旅行するのはお勧めしないです。

野宿するなら絶対に幹線道路から見えない所まで行かなくちゃダメだ
はだしのミーハに口酸っぱくそう言われ、舗装路から逸れてボコボコのダートや草むらの中を毎日のように運転させられた記憶があります。これがなかなか悪路で大変なのですが、安全にはかえられません。
肝心なことは、ミーハのような野生児でさえ、キャンプするときは周囲を警戒していたという事です。

ミーハが去ったあとは一度もキャンプしていませんが、私なりに車中泊でロシアを安全にドライブするコツのようなものを、以前こちらの記事にまとめました。ですが、できればライダーさんにも知っておいて貰いたいので、もう一度まとめます。



■ロシアでイチオシの宿泊場所
ロシアの道端にはカフェ(кафе)という看板を出している食堂がたくさんあります。大きなカフェだと、ガスティーニッツァ(гостиница)と呼ばれる安宿を併設しています。幹線道路沿いでしたら一泊500Rub~(約1500円~)で、シャワーも浴びられたりしますから、予算の許す限り積極的に利用してください。

さらに、カフェにはスタヤンカ(стоянка)と呼ばれる安全な駐車場が併設されてるものも多数あります。夕暮れになると、そこで車中泊するトレーラーがひしめいているのが見えるので、簡単に見つかります。これは壁で囲まれた24時間ガードマン付きの超安全な駐車場で、利用料金は70Rub前後(約200~300円)と激安です。車中泊の人も、テント泊の人も、どんなにお金がなくても安全のため最低限スタヤンカに泊まって欲しいと思います。

■なければ、とにかく人のいる場所へ
カフェが小さすぎて、ガスチーニッツァもスタヤンカも併設されてない!という場合は、カフェで食事をしたあと、敷地内の駐車スペース等で寝ても良いか聞いてみてください(身振りで)。相手にもよりますが、たぶんOKしてくれると思います(ダメなら次のカフェを探せば良い)。スタヤンカのように24時間ガードがいるわけではないのでセキュリティは劣りますが、無人になることはないのでまだ安心です。

運悪くカフェが見つからない場合は、GSの駐車スペースに泊まらせて貰うという手があります。もちろん満タンに給油したあとで、笑顔で交渉してください。他の客の邪魔にならない場所で車中泊・テント設営する分には許してくれると思います。ですが、こちらもセキュリティは劣りますのでGS泊は常套手段にしないでください。(というかGS泊は落ち着かないです)

■困ったら長距離トレーラーに助けを
もし夜中にバイクが故障したなどの理由で立ち往生した場合は、その場でビバークしたりせずに、長距離トレーラーの運転手に助けを求めるのがロシア流らしい。ヒッチハイカーのミーハはトレーラーの運転手の話をよく知っていて、こんな事を言っていました。

「もし万一、幹線道路で何か困ったことになったら、迷わず長距離トレーラーに助けを求めるんだ。ロシアの長距離ドライバーはとても勇敢で皆から尊敬されてる。誇り高い連中だから困ってる人を見捨てたりはしないし、仲間同士の結束も強い。」

。。。幸い、青山は道中で長距離ドライバーのお世話になった事はありませんが、このアドバイスは覚えていて損はないと思います。

■草原でのビバークは最後の手段
ロシア横断中の野営は、ミーハのような心強い相棒でもいない限り、極力控えてほしいです(現に私もミーハが去ってからは一度も野営していません)。
何か事情があってビバークを余儀なくされた場合は、幹線道路から全く見えない場所を探すというルールを必ず守ってください。ただし、人目の届かない場所は襲われにくい反面、万一犯罪に遭った場合は助けを呼びづらい場所でもあるので、諸刃の剣だという事を承知しておいてください。

※2013追記:真偽は分かりませんが、ロシアはスナッフ動画の多産地だという噂を聞きました。もし本当なら恐ろしいことで、狂気の輩が野営中のテントを狙っている可能性もあり得ます。キャンプ中心でロシア横断しようと考えているライダーさんから問い合わせを頂くことがありますが、初訪問やソロツーリングの人には絶対に野営キャンプはお勧めしません。わずかな金額で安全なスタヤンカにテントを張らせて貰えるのですから、そこを節約すべきではないと思います。

なお、キャンプ可能な場所があるとすれば、先客で既に賑わっているような観光エリアです。例えばバイカル湖周辺、アルタイ山中などでは、ちょっとした草原でキャンプを楽しんでいる家族連れが大勢いたりする場所があります。そういう所でロシア人キャンパーに便乗して一緒にテントを張るなら比較的安全といえます。


ロシアでミーハから教わった事は以上です。
バイクで行く人も、クルマで行く人も、ロシアには「カフェ」「ガスティーニッツァ」「スタヤンカ」という強い味方が無数にありますので、上手に利用して安全な旅を楽しんでください。


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2011年9月21日

ポーリュシカ・ポーレ

毎日ギュウギュウ詰めの満員電車で通勤していると、ときどきミーハ達と一緒にシベリアを渡ったときの事を思い出します。そんなある日、ふとポーリュシカ・ポーレが聴きたくなって、こんなエピソードを思い出しました。

去年の夏、ワゴンRの中で退屈をもてあましたミーハいわく、
「ナオコのiPodに入ってる音楽はぜんぜん駄目だ。僕の趣味じゃない!」
「悪かったわね。でも音楽聴きたいって言ったのそっちだからね」
「ロシア語の曲とか全然ないの?」
「あるわけないでしょ。私ロシア語分かんないし。あ、でも。。。ポーリュシカ・ポーレって曲がひとつだけ入ってる。もしかしてロシア語じゃない?」
「ポーリュシュカ・ポーリェ!それロシア語だよ!有名な曲だよ」
「私の好きな曲なんだよね。だけど、どういう意味なの?」
「ポーリュシュカ(Пoлюшкo)とかポーリェ(пoлe)っていうのはロシア語で草原っていう意味だ。」
「草原の歌なの!じゃあシベリアにぴったりだね!」

。。。その日の晩、いつもどおり地平線まで続く草原の中でのキャンプでした。草むらの中で器用に焚き火を起こし、慣れた手つきで飯ごうをくべているミーハ。その様子をぼーっと眺めているほかない役立たずな私は、突然イイコトを思いついてワゴンRにダッシュで戻り、iPod Touchと携帯スピーカを草原にセット。

「ミーハ、ここでポーリュシカ・ポーリェを聴こうよ!せっかく草原にいるわけだし」
「おお、やるなナオコ。そりゃいい考えだ。かけてくれる?」



夕暮れの静寂に包まれたシベリアの平原。。。しばし流れるオリガの歌声。。。

何故だかわからないけど、本気で感動しました。何言ってるか分からないロシア語の歌詞なのに、そのひととき、完全に風景と溶け合っていて。その一瞬一瞬が、信じられないほど美しく感じられたのを覚えています。
やんちゃなミーハが、このときばかりは黙って聴いていたのも印象的でした。
たぶん、私と同じ気持ちだったのかも知れない。

「これはね、戦争の歌なんだよ。たくさんのロシア兵が死んでいったんだ。。。」
「そうだったんだ。。。」

。。。あれから一年ちょっと経って、ふとこの曲の歌詞が知りたくなりました。
ちょっと検索かけたら、いっぱい出てきた。ちょっと長いけど、載せます。

ロシア語読み方カナ表記
Пoлюшкo-пoлe
Пoлюшкo шиpoкo пoлe
Eдyт, дa пo пoлю, гepoи
Пpoшлoгo вpeмeни гepoи

Beтep paзвeeт
Эx, дa пo зeлeнy пoлю
Иx yдaлыe пecни
Пpoшлoгo вpeмeни пecни

Toлькo ocтaвит
Им бoeвyю cлaвy
И зaпылeннyю дopoгy
Bдaль yxoдящyю дopoгy

Пoлюшкo-пoлe
Пoлюшкo шиpoкo пoлe
Eдyт, дa пo пoлю, гepoи
Пpoшлoгo вpeмeни гepoи

Пoлюшкo-пoлe
Bидeлo нeмaлo гopя
Былo пpoпитaнo кpoвью
Пpoшлoгo вpeмeни кpoвью

Пoлюшкo-пoлe
Пoлюшкo шиpoкo пoлe
Eдyт, дa пo пoлю, гepoи
Пpoшлoгo вpeмeни гepoи

Beтep paзвeeт
Эx, дa пo зeлeнy пoлю
Иx yдaлыe пecни
Пpoшлoгo вpeмeни пecни

Toлькo ocтaвит
Им бoeвyю cлaвy
И зaпылeннyю дopoгy
Bдaль yxoдящyю дopoгy

Пoлюшкo-пoлe
Bидeлo нeмaлo гopя
Былo пpoпитaнo кpoвью
Пpoшлoгo вpeмeни кpoвью

Пoлюшкo-пoлe
Пoлюшкo шиpoкo пoлe
Polyushka-polye
Polyushka shiroka polye
Yedut da po palyu gyeroi
Proshlava vryemyeni gyeroi

Vyetyer razvyeyet
Eh, da pa zelyonu polyu
Ih udalyye pyesni
Proshlava vryemyeni pyesni

Tolka astavit
Im bayevuyu slavu
I zapilyennuyu darogu
Vdal uhadyashuyu darogu

Polyushka-polye
Polyushka shiroka polye
Yedut da po palyu gyeroi
Proshlava vryemyeni gyeroi

Polyushka-polye
Vidyela nyemala gorya
Byla propitana krovyu
Proshlava vryemyeni krovyu

Polyushka-polye
Polyushka shiroka polye
Yedut da po palyu gyeroi
Proshlava vryemyeni gyeroi

Vyetyer razvyeyet
Eh, da po zelyonu polyu
Ih udalyye pyesni
Proshlava vryemeni pyesni

Tolka astavit
Im bayevuyu slavu
I zapylyennuyu darogu
Vdal uhadyashuyu darogu

Polyushka-polye
Vidyela nyemala gorya
Byla propitana krovyu
Proshlava vryemyeni krovyu

Polyushka-polye
Polyushka shiroka polye
ポーリュシュカ ポーリェ
ポーリュシュカ シロカ ポーリェ
イェドゥッ ダ ポパリュ ゲロイ
プロシュラヴァ ヴリェミェニ ゲロイ

ヴィェティェ ラズヴィェイェット
エフ ダパ ゼリョヌ ポーリュ
イフ ウダリーイェ ピィェスニ
プロシュラヴァ ヴリェミェニ ピィェスニ

トルカ アスタヴィット
イム バイェヴユ スラヴ
イ ザピリェヌユ ダロ-グ
ヴダル ウハデャシュユ ダローグ

ポーリュシュカ ポーリェ
ポーリュシュカ シロカ ポーリェ
イェドゥッ ダ ポパリュ ゲロイ
プロシュラヴァ ヴリェミェニ ゲロイ

ポーリュシュカ ポーリェ
ヴィディェラ ニェマラ ゴーリャ
ブィラ プロピタナ クローヴュ
プロシュラヴァ ヴリェミェニ クローヴュ

ポーリュシュカ ポーリェ
ポーリュシュカ シロカ ポーリェ
イェドゥッ ダ ポパリュ ゲロイ
プロシュラヴァ ヴリェミェニ ゲロイ

ヴィェティェ ラズヴィェイェット
エフ ダパ ゼリョヌ ポーリュ
イフ ウダリーイェ ピィェスニ
プロシュラヴァ ヴリェミェニ ピィェスニ

トルカ アスタヴィット
イム バイェヴユ スラヴ
イ ザピリェヌユ ダロ-グ
ヴダル ウハデャシュユ ダローグ

ポーリュシュカ ポーリェ
ヴィディェラ ニェマラ ゴーリャ
ブィラ プロピタナ クローヴュ
プロシュラヴァ ヴリェミェニ クローヴュ

ポーリュシュカ ポーリェ
ポーリュシュカ シロカ ポーリェ

日本語訳だと、こんな感じ?(オリガ版の英語訳をさらに意訳→ 原型とどめてないと思われ)

草原よ草原、果てしない草原よ
勇者が駆け抜けていった草原
それは過去の英雄たち

勇ましい歌声も、緑の草原の向こうに風がかき消していった
それは過去の歌
彼らの栄光も、埃道の果て

草原よ草原、どれだけの不幸を見たのだろう
血に染められた草原
それは過去の傷跡

※歌詞は基本的に上記3パターンの繰り返しと思われます。
※日本で言うならさとうきび畑に近い印象。

不思議なもので、こうして歌詞を繰り返しみてみると、今まで何言ってるかサッパリわからなかったのが、だんだん分かるような気がしてきた。しかも満員電車の中で。

オジサン達の背広に挟まれながらも、心をしばしシベリアの草原に飛ばす技を発見しました。
ミーハ、ありがとう。

※台風15号の影響で帰宅難民となり漫画喫茶にお泊り決定した記念に

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2011年6月4日

ハイエース世界一周見送り

ハイエースで世界一周するりかさんの出発準備に立ち会ってきました。だいたい出発の直前というのは想定以上に忙しくなるものです。私も去年ロシアに出発する時に、りかさんに引っ越しを手伝って貰ったお陰で間に合ったようなもの。これはぜひ恩返しをせねば。

というわけで「引っ越し手伝いますよー」と茨城県鉾田市へ。どんな程度か分からないけど、1~2泊で何とかなるかな?まあ最悪でも、りかさんが茨城を出発するまで4泊くらいすれば片付くよね?(プータローはこういう時に自由が利いて良いのだ)

。。。そして結局、それが2週間の怒涛の日々になるとは夢にも思ってなかったのですが。笑
すごく忙しかったですが、充実した日々でした。しかも毎日美味しいレストランに連れて行って貰って、いっぱいごちそうして貰ったし♪(美味しかったよー) それにしても、今回の出発準備は半端なかったです。

りかさんは茨城を出発する直前(まさに当日の朝くらい)まで仕事の予定がびっちりというハードスケジュールで、私が見る限り殆ど寝てなかったと思います。とにかく仕事関係の荷物が膨大にあり、まずはこれを整理するだけで6日がかり。

次にこれを茨城県から1000km離れた島根県(実家)に運ばなければならないというミッションがあったのですが、ハイエース一台にはとても搭載しきれない事が直前に判明し、予想外の1.5往復(合計3000km)が決定。「眠いよ~」と言いつつもほとんど一睡もせずに本州縦断ドライブを繰り返すりかさんって何者?想像を絶するバイタリティです。

最終的に島根に荷物を運び終えたのは、出発2日前の夕刻(6/2)。
(((゚゚Д゚゚))) マジデスカ

それから市役所への転入届、印鑑登録、カルネ書類の下書き作成、携帯電話の解約、旅行中に必要な日用品の買い物などなど。。。出発前に、
「一つでもしくじったらアウト!!」
な重要な手続きばかりで出発寸前まで冷や汗モードでしたが、なんとか6月4日のフェリー出航ギリギリまでに鳥取県の境港に間に合いました。

しかし福島の原発事故の影響で、ロシア側が日本から来た全ての車両について放射能汚染の検査をするとのこと(ウラジオストクで放射線検査にひっかかり港に放置された輸出車両が50台位あるとのこと)。そんな事が原因でロシアに入国できなかったら大変なので、港の事務所で高圧洗車機を借りて、税関検査の10分前までハイエースをガッツリ洗車した次第です。

※追記:その後聞いたところでは、実際には韓国(トンへ)で人間の放射能チェックが行われましたが、ウラジオストクではノーチェックだったとのこと(韓国経由だから?)。車両も、輸出車両は放射能チェックされるようですが、自家用車の場合はチェックされないそうです。よかった。

境港での通関業務は、上組(かみぐみ)の担当者さんが素晴らしい手際の良さで仕切ってくれていました。税関検査も非常にスムーズで、去年の稚内のように荷物全部出せとか言われる事もなく、本当にラクチン。こりゃいいわー。私も次にロシア行くなら境港に来ようっと。

境港(鳥取県)~ウラジオストクを結ぶDBSフェリーは、韓国を経由する船で、以前私も検討した事があったのですが経験不足のため断念した苦い思い出があります。ですが今回、りかさんのお陰で境港から自家用車両で出航する正しい手順が分かり、大変勉強になりました。


このハイエースによる世界一周は、前半だけで約3年(ロシア横断~アフリカ一周~中東~ヨーロッパ)、後半の南北アメリカ大陸などを含めると約5年という壮大な計画です。定員4名とゆとりがあるので、道中は参加者を募って費用を折半する仕組み。境港から出発する第一陣はりかさんあいさんの2人組ですが、さっそくモンゴルでもう一人合流できるかも?と賑やかになりそうな予感。

※というわけで、ハイエース世界一周に参加希望の方は2人に空きを問い合わせてみてください。合流する期間や地域は相談の上調整となります。

いや~激烈に忙しかったけど、一瞬一瞬を噛みしめることができた2週間でした。
よく考えたら、こうして境港で2人を見送る事が出来るなんて、5月の時点では想像もしていなかったので夢みたい。間違いなく素晴らしい旅になることでしょう。ガンバレ~!!

※帰り道は、同じく見送り組のタイニーさん(ナオミちゃん)に大阪まで送って貰いました。(つづく)

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2011年4月26日

アレクセイと泉

再び鍼灸師の友達と映画を観に行って来ました。今回はアレクセイと泉(Алексей и Крыница)という2001年の作品で、世界各国の映画祭で数々の賞に輝いています。

舞台はベラルーシでナレーションは全てロシア語ですが、監督はなんと日本の写真家(本橋成一)で、音楽は坂本龍一。なんかスゴイ。

そこに描かれていたのは、とある小さな村にこんこんと湧き続ける泉と、その泉を大切に守りながら自給自足の生活を続けている村人達の姿でした。ほとんとが高齢者というブジシチェの村で、アレクセイという若者だけが働き手として村に残っています。

雪が降る冬の日も、毎日バケツを持って泉の水を汲むアレクセイ。その隣には泉の水を使った洗濯場があり、ばあさま達が板の上で洗い物に石鹸をこすり付け、泉の水ですすぎます。この湧き水の存在が、村人の生活を支えているのです。

村には水道もガスもなく、電気もほとんど使いません。ペチカと呼ばれる暖炉兼オーブンが未だに現役で、煮炊きは全て薪をくべて行っています。ばあさま達は昔ながらの道具で糸を紡ぎ、織物を織ります。じいさま達は木を切り倒し、斧ひとつで器用に木組みを作り、釘ひとつ使わずに仕上げます。ほとんどお金を使わない生活なので、年金を貰っても誰も貯蓄などせずに、塩や石鹸やウォッカなどを買って飄々と暮らしているのが素敵。

この映画を観ていると、ブジシチェの平和で愉快な村の暮らしにほのぼのとした気分になってきてしまうのです。豊かな自然に囲まれたナチュラルな暮らしに憧れを感じるのは、自分が都会育ちだからかも知れないけど。。。ですが、この舞台はちょっと特殊な環境にあります。

実は現在、地図上にブジシチェという地名は存在していません。1986年のチェルノブイリ事故で高濃度の汚染を受けたブジシチェ村は廃村となり、子供達を含めたほとんどの村人が政府の勧告に従って町へと移住しました。特に付近の森はかなり濃度が高く、事故から14年後の撮影中にも測定器が鳴り続ける状態だったといいます。

そんなブジシチェの村にただひとつ奇跡が。。。
なんと彼らの湧き水は全く汚染されていなかったのです。

「保健局の人は、ここで暮らすと病気になるという。彼らは僕たちを説得しようと、泉の水を持ち帰って調べた。だけど放射能は全く検出されなかった。僕たちの泉はキレイだった」

この映画の美しさはここに集約されている気がしてなりません。

参考までに、2001年当時のブジシチェ村のセシウム(137Cs)の値が載ってました:
単位:キュリー/平方キロ (Ci/Km2)、2001年5月19日測定
  • パーティの広場 -- 6
  • ジャガイモ畑 ----- 10~12
  • 学校跡地 -------- 20
  • 薪をとった森 ----- 60~150
  • 泉の水 ----------- 検出されず
日本で報道されている単位と違うのでピンと来ませんが、事故直後40キュリー以上が強制移住地域とされた事を鑑みると、ブジシチェが行政上の廃村となった理由も分かるような気がします(上記の測定値は事故から14年後のものです。事故直後はもっと高濃度だったと考えられます)。

本日4/26はチェルノブイリ事故から25年目にあたるそうです。上記のセシウム137の半減期は30年だそうですから、あと5年待ってやっと半分という事でしょうか。

まあ半減期の話はさておき。。。
もしかしたら日本にもあるかも知れません、奇跡の泉。

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2011年1月14日

フローニゲンでハンスと再会

旅の神様は実に不思議な取り計らいをしてくれるというか。。。パリを出発したピーターの最初の目的地はオランダ北部のフローニゲンでした。そこが実家なのだそうです。

ピーターは亡くなったお父様の家で葬儀に間に合うよう、弾丸のようなスピードでベルギーとオランダを縦断します。すげえおっさんだ。

で、ピーターが家族の家で葬儀の準備に関わる間、私はなつかしいハンスと一緒に過ごすことになりました。「こんな形で再会できるなんて夢みたいだね!」とお互いに再会を喜ぶ我々でした。

何と言っても、この旅にとってハンスは本当に欠かせない存在だったと思います。SIMカードを譲って貰ったお陰でヨーロッパやアフリカで携帯が使えたこと、Open Street Mapをガーミンに移植して貰ったお陰でアフリカで迷わなかったこと、ほかにも感謝すべき事は山のようにありました。彼には心からお礼を言いたかった。

ハンスの家に滞在中、駅近くの美術館のロシア美術展に連れて行ってくれたり、ロシアグッズを扱う専門店で買い物したり、ロシア映画を観たり、とにかく互いにロシアファンという事もあってロシア尽くしの日々でした。



最近までのアフリカ体験が強烈すぎて、ロシアの記憶が薄れかけてきていた頃だったのですが、ハンスのお陰で旅の原点となったロシアの素晴らしい想い出が蘇ってきました。もう忘れてしまったと思っていたロシア語の単語も、不思議と記憶に蘇ってきます。

アフリカからヨーロッパに戻り、再びロシアに出会う。。。

まるで、今回の旅行で学んだ事をおさらいしているような、不思議な気分。まるで出来すぎたシナリオみたいです。旅の神様は、何かを教えようとしてくれていたのかも知れません。

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2010年9月28日

実は速度メータ壊れてました

シベリアを走っていた頃から気付いてはいたのですが、スピードメータの速度表示とGARMIN nuviの速度表示が30km/hも違うことがあり、誤差にしてはオカシイなあとずっと思っていました。。。

日本で走っていた頃は誤差といってもせいぜい5km/hで無視できる程度だったので、ロシアでいきなりこんなにも表示が違うということは、きっとGARMIN World Mapがショボくてきちんと速度計算できないせいだろうと勝手に思い込んでいました。まさかスピードメータが壊れるなんて夢にも思ってなかった。

だけど、ハンスと一緒にアムステルダムに向かっている途中、「ナオコ、いくらなんでも君のスピードメータの表示はおかしいだろう」とご指摘が。実はハンスもGARMINのハンディGPSを持っていて、私のGARMIN nuviとほぼ同じ速度表示を示していました。例えばスピードメータ上では80km/hで巡航してるつもりでも、2つのGPS上では55km/hとなっていたり。

うーん、認めるのが怖かったけど、2つのGPSが同じ速度を示しているという事は、どう考えてもワゴンRのスピードメータが壊れているという事だな。ということはアレか、ロシアにいる間ずっと80km/hで快走してるつもりだったけど、実は15000キロの距離をずっと原チャリもビックリの55km/hで走っていたということか。もしかして私、ロシアでも北欧でも超迷惑車両だったのでは!Σ(゚皿゚)

それにしても、まさかスピードメータのような重要な計器が壊れるなんて予想外でした。クルマだったから良かったけど、もしこれが飛行機の対気速度計だったら今頃とっくに墜落して死んでるはずです。それにしてもなんでだ?こんな事って有り得るのか。

。。。で、さかのぼって原因を考えてみました。日本を走っていた頃はメータとGPSの速度表示にほぼ誤差がなく、初めてヒドイ誤差がある事に気付いたのはロシア極東ハバロフスクを出てすぐのあたり。ということは、怪しいのはVanino~Lidogaの340kmの悪路かも。朝から晩までガタガタ道で、何が起こってもおかしくない状態でしたから、ここでメータがやられてしまった可能性高し。

どういう仕組みになってるのか詳しくは知りませんが、タコメータや距離計の表示は問題なしです。タコメータに関しては日本で60km/hでテスト走行していた時3500~4000rpm前後で、今でもGPSの速度と付き合わせれば同じ結果が出ます。また、距離計に関しては、ハイウェイのあちこちにある「○○まであと何キロ」の看板と照らし合わせても正確なので、道中とくに問題はありませんでした。

いやー、壊れたのがスピードメータだけで本当に良かった。。。だけどもしGPSが無かったらスピードメータが壊れてる事すら一生気づかなかっただろうなぁ。よく考えたらオランダに来る前にこの状態でドイツの高速アウトバーン走ってたのか私。迷惑だっただろうなあ。

とりあえずGARMINのほうが正確な速度表示を出すことが分かったので、以後はこちらの表示を頼りにドライブしています。ヨーロッパのハイウェイは110km/h~120km/hという所が多いのですが、ワゴンRでそんなに速くエンジンぶん回すのは心配なので、道が空いてる場合はGPS表示で80km/h前後、後続車が数珠つなぎになりそうな場合は頑張ってGPS表示90km/h超を心がけています。(ちなみにこの時、ワゴンRの壊れたスピードメータは110~120km/hを指しているわけですが。。。)

いろんな意味で、GARMIN nuviを持ってきて助かりました。滅多にないトラブルだとは思いますが、皆様もお気をつけください。(T_T)

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2010年9月6日

国境とグリーンカード情報

ここではロシア側からM10を使ってフィンランドへ入国する手順について紹介します(全然難しくありません。国境の位置はこちら)。また、情報の少なさで旅行者を悩ますことの多いグリーンカード加入ですが、フィンランド国境で簡単に取得できるので、その詳細も下に併記しておきます。
なお、国境は24時間オープンですが、初めての人は明るいうちに到着したほうが良いかも。


■ロシア側国境Torfyanovkaでの出国手続き
1.小さな節約ですが、国境20~30km手前あたりにGSが何軒もありますので、忘れずにロシア側で満タンに給油しておきましょう。一旦フィンランドに入るとガソリンの価格は2倍以上になります。

2.車両でロシア国境を通過する場合、日本の高速道路の料金所みたいな吹きさらしの窓口へクルマを進めます(建物の中へ入る事はありません。これって冬は絶対寒いと思う)。車両での出国は「車両通関→出国手続き」の順になります。ちなみにロシア側では殆ど英語は通じませんが、手続き自体に難しい事は何もないので笑顔で乗り切れます。

3.まずは税関での車両通関。パスポートと、ピンク色の登録証書(Registration Certificate)と、入国時にサハリンで作成した通関の書類(小さな紙切れ)を提出し、ほぼ同じフォーマットの出国用の通関書類に、ほぼ同じ内容(車両ナンバー、車台番号、排気量etc)を書き写してスタンプを貰えば完了。軽くクルマの中身を見せる必要がありますが、旅行グッズで溢れている車内を見せれば問題なく通してくれます。そして次の出国窓口へ。

4.出国窓口では、パスポートと入国カード(入国時にフェリー内で記入した小さな紙切れ)を提出します。パスポートに出国スタンプを押して貰えば出国完了。入国カードはここで回収されます。ちなみに、各地でちゃんとレジストレーションを行ったかどうかのチェックは一切ありません。うーん、やっぱり無闇にあちこちでレジストレーションしなくて良かった。


■フィンランド側国境Vaalimaaでの入国手続き
1.フィンランド側にくると、なんだか建築物が全体的にカチっとしていて「おお~、北欧に来た~!」という感じがします。車両での入国であっても、ちゃんとした国境施設内で手続きが行われ、冬でも通行者に優しい仕様です。そして何より驚くのは、どこの誰とでも完璧に英語が通じるという事です!す、すげーーーー!!!なお、車両での入国は「入国手続き→車両通関」の順になります。

2.まずはフィンランド(というかEU諸国)への入国手続き。パスポートを渡して、入国の目的や出国の予定などについて口頭での質問に答え、無事に入国スタンプを貰えれば入国完了です。(入国審査官は、必ず出国の予定について聞いてきます。私の場合、外のワゴンRを指さしてアフリカに行く予定だと言ったら大笑いされてしまい、別室でインタビューを受ける羽目になりましたが、終始なごやかな雰囲気でした)

3.次に、同じ建物の奥にある税関の窓口に行って車両通関を行います。必要なのはパスポートと、ピンク色の登録証書だけです。先方で車両情報をコンピュータに入力して終わり。クルマの中を見られたりとかも全くないし、特に記入が必要な書類などは一切なく、実にあっさりと通関終了です。この時、グリーンカードに加入したい旨を忘れずに伝える必要があります。(向こうから加入を促してくれる事は基本的にないので) グリーンカードについては次に詳しく紹介します。


■グリーンカードの価格と加入手続き
ヨーロッパの自賠責保険であるグリーンカードについては、国際ナンバー車両での情報が極端に少ない事もあって、今回の心配事のひとつでした。加入する国や事務所や時期によってグリーンカード価格がまちまちである事も、分かりにくさに拍車をかけている気がします。しかし、フィンランド国境の税関で簡単に加入できるので、ひとつの目安にして下さい。

Green Cardの価格@フィンランド国境Vaalimaa税関 (2010年9月)
・1ヵ月分 -- 120 Euro
・2ヶ月分 -- 180 Euro
・3ヶ月分 -- 240 Euro

北欧の物価の噂にビビッていた私は、場合によってはグリーンカード加入で500ユーロ以上するのではないかと覚悟していましたが、意外とリーズナブルな価格でちょっと安心。迷わず3か月分たっぷり加入することにしました。(そんなにヨーロッパに長居する予定はないけど、何があるか分からないので念のため。)
決して240ユーロは安くはないけど、加入が義務付けられている自賠責保険ですからケチるべきではないとの判断です。

参考までに、ロシア登録の車両がロシア側の事務所でGreen Card (Zelyonaya Karta)を取得する場合の価格は3ヶ月分で6460 Rubles (約180 Euro)でした。もちろん私のグリーンカードより60ユーロも安あがりで羨ましい限りですが、逆に言うとロシア人であっても180Euroより安くあげる事は出来ないということです。

なお、入国したてでユーロの持ち合わせがなくても、支払いはクレジットカードで簡単に出来るので心配ありません。

※2011情報:なんと、同じフィンランド国境で2ヶ月のグリーンカードが450Euroだったとの情報を頂きました(バイクの方)。理由は分かりませんが驚きです!最新情報ご存知の方がいらっしゃればお知らせください。

※2013情報:ハイエースで同じフィンランド国境を通った方は、3ヶ月で240Euroということで私の時と同じだったそうです。クルマとバイクの差?しかし何故クルマの方が安いのか謎です。



■フィンランド側の国境で車中泊
国境は24時間オープンです。しかもフィンランド側の国境施設には24h利用可能な駐車場と、休憩室つきの立派なトイレが併設されており、ちょっとした「道の駅」状態。フィンランド素晴らしい、素晴らしすぎる!

すでに日が暮れかかっていた事もあり、安全な国境で一泊したほうが得策に違いないと思い、ありがたく国境の駐車場で車中泊させて貰うことにしました。しかしさすがに国境職員も利用している駐車場にて、いかにも堂々と車中泊するのは日本人としての良心が咎めるため、あくまでもさりげない行動を心がけます。。。ええ、ちょっと休憩してるだけですよ~。トイレの水道で水汲んだりしませんよ~。

それにしてもロシアから来たばかりだと、無料トイレというだけでもスゴイ太っ腹に感じるというのに、ここのトイレときたらステンレス製で超カッコイイんです。建物のデザインも隙がなくてクール。
うーん、これが北欧か。お洒落な建築デザインでは完全に日本負けてるな。さらに、誰とでも全く問題なく英語が通じる教育水準の高さに至っては、とても日本に勝ち目があるとは思えない。いきなり本物の先進国の威力を見せつけられた感じがします。。。

そう考えると、ロシアと日本っていい勝負かも知れないなぁ。
えーん、ロシアが懐かしいよう。



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さようなら、ロシア

今にして思えば、ロシア横断は1ヵ月ちょっとあればワゴンRでも十分に達成可能だったと思います。だけどワタクシ、3ヶ月ビザのうち2.5ヶ月というギリギリまでロシアの懐にどっぷり漬かっていました。この間、ロシアに大勢の友達が出来ましたが、元を辿ればただ一つの偶然から。。。。

やっぱりチタでのミーハとの出会いは大きかったと思うのです。

出発を前にベソをかいてる私のそばで、ミーハが窓辺の空を見ながらこんな事を言いました。
「この空を見てよ。サンクトペテルブルグは日に日に寒くなるばかりだ。そして僕のヒッチハイク旅も終わってしまった。あとは2年間ここで毎日働くだけ。。。僕の夏は終わって、僕は自由を失って、僕の心はいま空っぽでなんにもない。だけどナオコ、君の旅はまだ途中だろ。これからヨーロッパを経て常夏のアフリカへ向かうんだろ。だから走ってくれ。それこそが、冬を迎える僕にとっての暖かな希望なんだ。」

ミーハはそう言って、一緒にキャンプした時にずっと使っていた、焚き火で真っ黒にすすけた愛用の飯ごう(カテローク)を私に差し出し、
「君にこれをあげる。こいつは旅が好きなんだと思う。だから、連れてってやって。」


ちくしょうミーハめ。裸足の原始人だったくせにこんな粋な餞別をくれるなんて反則だぞ。。。。

※同じ頃、ミーハはこんな事も打ち明けてくれました。「ナオコ、変な夢を見たよ。君が僕の事を"ママ~"って言いながら抱きしめるんだ。姉さんのターニャもそばにいた。これって変だろ?」って。その時私はハハハと聞き流すフリをしましたが、実は不思議と思わなかったです。今でも彼らとはどこかで家族だったような気がしてなりません。

※2014/10追記: 信じがたいことですが、ミーハはこの4年後に火事で命を落としました。
追悼記事はこちら(2014.10.29)。

■9/6 サンクトペテルブルグ~フィンランド国境 (約230km)
M10へ向けてサンクトペテルブルグ市内を抜けるのに、いつもどおりGARMIN City Navigatorが手放せなかった私。だけど、昨日SAITAMAまで行った時とほぼ同じルートなので良い予行演習になりました。ネヴァ川の美しい景観を眺めながらのドライブですが、気を抜かずに運転に集中です。

郊外からフィンランド国境までは、M10を使って僅か200キロほどしかないので、いかにノロマなワゴンRでも確実に1日で着いてしまいます。サンクトのKAD(外環道路)を過ぎたあたりから国際便の長距離トラックをよく見かけるようになりますが、Vyborg北側を迂回するバイパスを通過するまで、Cafeの類は全く見かけませんでした(GSはあります)。

Vyborgを超えてフィンランド国境が近づいてくると、やっとCafe宿がチラホラ出現しますが、今までのとなんか雰囲気が違う。ついでに言うと、この付近にはグリーンカード(ヨーロッパの自賠責保険)を扱う窓口がやたらと多いです。キリル文字で"Zelyonaya Karta"(ジリョーナヤ・カルタ)と書いてある看板は全部Green Card屋さんです。ただし!ここではロシアで登録した車両しか加入させて貰えません。私のワゴンRは国際ナンバーなのでNGです。残念。

※自分の車両でヨーロッパをドライブする場合、自賠責保険であるグリーンカード加入は非常に重要です(非加入で運転した場合は罰則があります)。価格や加入方法については次のエントリで詳しく紹介しますので、ロシアからフィンランドへ抜ける予定の方は参考にしてください。

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2010年9月5日

ワゴンRのATF漏れ修理

ここまで元気よく走ってくれていたワゴンRですが、実は東京を出発する前からオフロードセンターにて軽微なATF漏れを指摘されていました。でも滲む程度だったので、焦って修理する程ではないと判断してそのまま出発した青山です。

しかしノボシビルスクのAVTOMIRで車両点検して貰った時、その事がバレて「オイルシールを交換しないとダメです」と言われてしまいました。しかし現地に部品がなかった為にオイルシール交換は見送り。そのまま無事にサンクトペテルブルグに着いたわけですが、ミーハいわく。。。

「このオイル漏れは絶対にロシアに居る間に直さなくちゃダメだ。ヨーロッパに入ったら、誰も日本製の右ハンドル車なんか診てくれないぞ。ジェーニャ(叔父さん)が、ネットでワゴンR用のオイルシールを注文してくれたから、それが届いたらSAITAMAで交換して貰おう。」
うん。確かに今後、右ハンドルが原因で難儀しそうな予感はする。ひとつお言葉に甘えて、部品到着を待つか。。。

。。。って、3日で届く約束だったオイルシールが届くのに1週間かかった事は、個人的に予想通りだったので別に驚きませんでした。そんな所がロシアらしくてハラショーです。(´ー`)
わざわざ部品入手を代行してくれたジェーニャにお礼を言って、ミーハと2人で再びSAITAMAへゴー!

出迎えてくれたのは、日本語ペラペラのイヴァンさん。事情を話すと、さっそくワゴンRを持ち上げて問題の箇所をチェックしてくれました。「うーん、確かにここから漏れてますけど、本当にオイルシールが原因かどうかはまだ何とも言えませんね。でもとりあえず新しいのと交換してテストしてみましょう」

まず、古いATFを全部抜いて、左タイヤを外して、シャフトも外して、初めて見るトランスミッションの部品。これをさらに分解して、内部に付着してた糊の跡を全部こそげ落として。。。うわああ、オイルシール交換って思ったより大手術だったんだ。こんな気軽にお願いして良かったのかしら。(0_0;)

それでも、あれよあれよという間にオイルシール交換は終了。だけど、安心するのはまだ早い。。。宙吊りのワゴンRに乗ってエンジンをかけ、Dレンジに入れて100km/h位までタイヤを空転させてテストします。面白~い、こんな事して走行中の状態を再現できるんだ。しかし、テストが終わってみると、イヴァンさんもミーハも浮かない顔。

「残念ですが、オイルシールの問題じゃなかった。部品を繋ぐボルトの隙間からオイルが漏れているようです」「ええっ、でもAVTOMIRでオイルシール交換が必要って言われたんですけど」「あそこは何でも機械で診断します。でも人間の直感に勝るものではありません。。。さっき、問題のボルトに密封剤を塗っておきました。20分経って硬化した頃にもう一度テストしてみましょう」

うおおおおオイルシール交換必要なかったのか~。何の為に一週間も待ったんじゃ~。(^^;)
でもイヴァンさん流石だなあ、ボルトのかすかな隙間からのオイル漏れを見逃さないなんて。天下のAVTOMIRも、ここまでは気づかなかったという事か。SAITAMA、サイコー!!

そして再度エンジンをかけ、100km/hの模擬テスト。。。。

するとニッコリ笑顔のイヴァンさん。「もう大丈夫ですよ!オイル漏れは止まりました」
ぃやったあぁぁぁぁ!!!

※これから右ハンドル車両でロシア横断してサンクトペテルブルグを目指す方は、是非ともロシア最後のメンテナンスにSAITAMAを訪れる事をオススメしたいと思います。詳しい所在地と連絡先はこちらのエントリをどうぞ。

だけど。。。だけど。。。ワゴンRが治ったって事は。。。
これ以上、サンクトペテルブルグに留まる言い訳が無くなってしまいました。(T_T)

明日、出発せねばなりません。

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2010年8月31日

デミトリー君と再会

そもそも今回の旅を思いついたきっかけというのは、去年の11月にさかのぼります。北極圏(Svalbard)に1週間ほど滞在したとき、UNISという大学の学生寮でお世話になっていたんですが、そこでサンクトペテルブルグ出身の超フレンドリーな男の子デミトリー君と出会いました。

東京に帰ってから「行きと帰りの飛行機で2回もサンクトペテルブルグ上空を飛んだよ!」とデミトリー君にメールしたら「2回もサンクトペテルブルグの上を飛んだなら、3度目は直接現地を訪問するしかないね!」と冗談が返って来たので最初はハハハハと笑っていたのですが。。。んん?まてよ?ワゴンRがあるじゃないか。。。とナイスなアイデアが訪れたのが全ての始まりでした。

というわけで、無事サンクトペテルブルグに到着した暁には、今回の旅のインスピレーションを与えてくれたデミトリー君に是非とも再会したいと思っていたわけです。

9ヶ月ぶりに再会した彼は22歳になっていて、去年会った時とは比べ物にならないほど英語が達者になっていました。「どうしたの、英語すごいじゃない!」「UNISでの生活で鍛えられたんだよ。大学では毎日英語だからね」「そうそう、みんな英語だったよね。そういえばドイツ人の○○は今どうしてる?。。。」などなど、UNISの思い出話に花を咲かせつつ、サンクトペテルブルグの歴史地区を散策。うーん、これって何だろう。東京で夢みたことがひとつ現実になった感じ。

サンクトペテルブルグ中心街の町並みはどこも美しいので、あてもなく歩くだけで華やいだ気分になります。最初はMarsovo Pole (Field of Mars)公園のベンチでおしゃべりしてたのですが、その後Cathedral of Transfigurationまで歩き、観光するつもりじゃなかったのに、意外と観光してました。
「よかったら僕の家に寄らない?母さんは仕事だけど、父さんと弟がいるよ」「ええっ!君の実家ってこんな中心街にあるの?」すごい、デミトリーってこんな観光名所に囲まれた所で育ったんだ。。。(日本で言うなら、京都の歴史地区に実家があるような感じ?)

その家は、すごーく歴史がありそうな建物の一室で、中は居心地よくしつらえてありました。デミトリー君と弟のセルゲイ君の寝室には、立派な本棚と熱帯魚の水槽が2つあって、窓辺にはサボテンが。おおお、ちゃんとした家だ~!なんかホッとする~!
しばしキッチンでお茶をご馳走になり、デミトリー君がが家族と一緒に過ごしたという黒海のリゾート地の写真を見せて貰ったりしながら、夕方まで盛り上がっていました。だけど、若い彼もいろいろ将来の事を考えているらしい。

「僕はあと1年サンクトペテルブルグの大学で勉強したあと、就職先を探さないといけないんだ。」「君はUNISで永久凍土の建設技術を学んだのだから、引く手あまたでしょ」「うん、そうなんだけど。。。できれば油田開発の仕事に就きたいんだ。でもコネがないから難しいかも」「ええっ!就職するのにコネが必要なの?」「そりゃあイイ所に勤めたかったら、紹介者がいる方が有利さ」おおお~、日本でもロシアでも就職の裏技はあまり変わらないらしい!でもデミトリー、君ほど優秀で人柄の良い学生だったら、どんな企業でも採用したいと思うよ!

この日、ひとつ大きな目標が達成できた感じ。本当に東京からワゴンRに乗ってサンクトペテルブルグまで来れて良かったと思いました。
デミトリー君、素晴らしい旅のインスピレーションを与えてくれて本当にありがとう!

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2010年8月28日

2度目のオイル交換

サンクトペテルブルグでは是非とも2度目のオイル交換が必要です。前回、ノボシビルスクのAVTOMIRで至れり尽くせりのオイル交換から7000km以上経っているので。
ミーハに相談したら「オイル交換の事なら心配しなくていい。叔父さんのジェーニャが今日、サンクトペテルブルグのAVTOMIRに案内してくれるって!」

おおお、AVTOMIRの支店だったら安心だ。さすがサンクトペテルブルグ、都会だけあって話が早い。

ジェーニャはその昔、軍隊でドライバーをやっていた事があって、クルマには超詳しいのです。この日早速ワゴンRを先導して貰って、念願のAVTOMIRにやってきました。うん、ちゃんとSUZUKI代理店の看板が出てる。はっはっは、これでオイル交換は済んだも同然だ。。。と思ったら、ミーハとジェーニャがAVTOMIRの窓口でのやり取りのあと、神妙な顔をして戻ってきました。

「ナオコ、ここのAVTOMIRでは君のクルマはダメだって」「えっ!?なんで!!だってSUZUKIの看板が出てるじゃない!(゚Д゚)」「違うんだ。同じSUZUKIでもここはヨーロッパ仕様の左ハンドル車しか診ないって。君のは右ハンドルだからダメだってさ。」ななな、なんですとー!!!! 「マジで?オイル交換もしてくれないの?そんなのハンドル関係ないじゃん!」「やつら、右ハンドル車は経験がないから無理だって言ってる。同じロシアでもここはヨーロッパなんだ。仕方ない、次を探そう。」

がびーん。予想外の展開。でも確かに、欧州車が主流な地域で右ハンドル車を整備する機会が無いのも無理はない。。。いやでも、ここロシアでしょ!極東から日本の右ハンドルの中古車に乗ってサンクトペテルブルグに来る人だって沢山いるでしょ。そういう人達はどうやって整備してるの?「大丈夫、ちゃんと日本車に詳しい店もあるから。ジェーニャについていこう」

次にジェーニャが連れてってくれたのは、なんと日本車専門のパーツセンターでした。中に入るとパーツの山でドンキホーテ状態。「ここにはありとあらゆる日本車のパーツが揃ってるんだよ。まずは君のオイルフィルタを調達しよう。」そう言って、ワゴンRに適合する怪しい車外品フィルタを2個ゲット。なんか無理やり探してきたっぽくて、大きさがマチマチなんですですけど。。。「心配いらない。径さえ合ってれば装着可能だから。」とジェーニャ。こういう時、クルマに詳しい人がいると本当に安心です。

それから再びワゴンRを先導して貰い、やがて着いたのはネヴァ側の北にある超ローカルな整備工場。その名も。。。"SAITAMA"!


「SAITAMAは日本車専門の修理工場なんだ。私が昔乗ってたホンダも右ハンドルでね、ここでお世話になってたんだよ」
おおおおこんなマニアックな店がサンクトペテルブルグあったとは!ジェーニャのお陰でなければ、絶対にこんな店を見つけられるハズがありません。超超超感謝です!!!

しかも工場内で「あのー日本の方ですか?」と日本語で声をかけられビックリ。振り返ると流暢に日本語を喋るメカニックさんが。
「私はイヴァンといいます。日本語を勉強しています。どうぞ宜しく」
うおおおおーーー!!びっくりしたーーー!イヴァンさん、日本語上手ですね。何年くらい日本に住んでたんですか?
「いえ、日本には一回も行ったことがありません。」
ウッソー!?じゃあもしかして日本人の先生に教わってるんですか?
「いえ、ロシア人の先生に日本語を教わっています」
えええええーーーー!?Σ(゚皿゚)


やばい、やばすぎるSAITAMA。日本語通じる(イヴァンさん限定)。ていうか何でSAITAMAなんだろう?埼玉県と何か関係あるんですか?
「いえ、全然関係ありません」
おおおお超COOOOOL~~~!!! サイタマ、サイコー!!!

あ、で肝心のオイル交換ですが、フィルタとオイル3L分のボトルを渡したら、ものの30分でさくっと終了。代金は工賃のみ。うわー、こういう職人気質な整備工場もあったのかぁ。府中のオフロードセンターを思い出すというか、なんかすごい落ち着く。
参考までに、SAITAMAの所在地を載せておきます:

AVTOTSENTR SAITAMA
住所:Ul.Vatutina 17 (St.Petersburg)
GPS座標:N59 57.854 E30 22.518
電話:542-22-15
http://www.saitama.ru/

※この店はウェブサイトは立派ですが、看板出してないので発見が難しいかもです。座標の場所に行ったら、付近の人に聞くか、壁に「САЙТАМА」と書かれた小さなプレートがないか探してみてください。





最初AVTOMIRに断られた時「こりゃもうダメだ」と長期戦を覚悟したけど、ジェーニャのお陰でその日のうちに完璧にオイル交換が済んでしまって、まるで魔法か何かを見ているようでした。さすが地元のエキスパートは頼り甲斐があります。
ありがとうジェーニャ!そしてミーハも通訳ありがとう!

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