3月11日、地震が来るなり表に飛び出た青山です。ぐらぐら揺れ続ける大地と家と電柱を見つめながら、一体この先どうなってしまうだろうと恐怖ですくんでいました。家も電柱も倒れなかったけど、あの時の灰色の空は忘れられません。前回の離婚といい、今回の地震といい、どうしてアフリカから戻るたびに破壊的な出来事が起こるんだろう。
今に至るまで更新が途絶えてしまったので、これまでの出来事を要約します。
去年、7ヶ月かけてロシアから西アフリカまでドライブしました。道中いろいろありましたが、困った時には必ず助けてくれる人が現れました。飲み水が無くなったと思えば湧き水が現れ、お腹がすいたと思えば食事に誘われ、何度も諦めた悪路ですら目的地への道が示されました。結局、3万キロの道のりをパンクひとつする事なく走りおおせたのは、奇跡だったと思います。
幸運は最後の最後まで続きました。西アフリカのマリ(モプティ)から、パリを経てオランダに滞在し、最終的にはアムステルダムから成田空港まで飛んだのですが、この時、安い航空券の選択肢は3つありました。私はエミレイツ(ドバイ経由)を選択し、快適なフライトで無事に日本に帰国できました。。。が、もしこの時、他の航路を選択していたら、空港テロ(モスクワ)に遭っていたか、革命(カイロ)に巻き込まれていた所でした。ふう、間一髪。
これってもしかして、ロシアで貰ったアルハンゲル・ミハイユ(大天使ミカエル)のお守りのご加護かも!?。。。と感謝しつつ、東京の実家でゆるゆると再起を図っていたのですが。2月中はいろいろ奔走したにも関わらず、いまいち何をしてもうまく行かない日々が続きました。あれえ?なんでかなぁ。。。
そしたら3月に入って、この大地震。
真性チキンの私はショックを受け、それ以来ダウン。。。
東京では電気も水道もインターネットも使え、被災地の皆さんの過酷な状況に比べれば天国のように恵まれていると頭では理解しつつも、精神的に受け止め切れず、糸が切れてしまいました。
ええ、ダメダメです。はい。
しかも再び食欲不振に陥り、両親に多大な心配と迷惑をかけてしまいました。ゴメンナサイ。
津波の規模もさることながら、個人的に最も衝撃だったのは原発事故です。我々の豊かな生活を支えてきた電気という恩恵が、このようなリスクと引き換えだったとは。日本が安全でなかったという事は、原発推進国のどこも安全ではないという事かも知れません。
(そういえば、電気も水道も無かったドゴンの村での滞在は東京育ちの私には不便でしたが、今となってはこの上なく懐かしい想い出かも。。。)
地震のあと、道中出会った大勢の海外の友達からメールを貰いました。ロシア、スウェーデン、オーストリア、オランダ、イタリア、アメリカなどといった国々から疎開の勧めを頂いたり。
いろんな事が現在進行中なので、まだまだ振り返って評価するには早いのだろうな、と思います。
今は、旅を共にしたアルハンゲル・ミハイユのお守りを手元で眺めつつ、道中あれだけの加護を与えてくれた理由と、今回の地震との関連を尋ねてみたいと夢想する今日このごろです。
心休まる日への道のりの遠さを思わずにいられません。