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2011年6月13日

イエス・キリスト 失われた物語

ナオミちゃんに貸して貰ったイエス・キリスト 失われた物語を読了。(原題:The Master from Afar - A flight into the past as it might have been)

昔から存在は知っていたのですが、たぶんダ・ヴィンチ・コード的な作り話だろうと思って今までスルーしてきたのでした。ですが、

「この本、どうも自動書記で書かれたみたいだよ。訳者もシルバーバーチの人と同じだし」

。。。と聞いて俄然興味が湧き、あまりの面白さに徹夜で一気に読んでしまった次第です。

現在の聖書は、西暦325年のニケーア公会議で政治的理由により大幅に書き換えられた後のもので、原型がどうであったかは謎が多いです。それ以来主にイエスの神的側面が強調されるようになり、彼を神の子として崇める以外のアプローチはタブーとされてきました。

この本は、聖書とは全く違ったアプローチで、若い革命家としてのイエス像を描いています。普通に創作小説として読んでも面白いけど、自動書記(霊的なインスピレーションを得て執筆されたもの)による書物として見ると、さらに深遠なものが感じられます。

著者のまえがきによると、自分が知り得ないような内容が見えざる力によって次々と綴られ、その内容が事実である事を後から図書館で資料を探して検証したとのこと。。。これが本当なら通常の執筆プロセスとは順序が逆になっていたわけで、非常に興味深い現象だと思いました。

実際に読んでみると、歴史を覆したかも知れないほどの革命の物語でありながらも、イエスという人物の人徳の高さが言動の端々から強くにじみ出ていて、聖人としてのありようは全く損なわれていません。また聖書に記述されている主な「奇跡」のエピソードを、より現実的な観点から明らかにしている点も秀逸です。

マグダラのマリアについては、聖書ではほとんど記述がない(削られた?)のに対し、本書ではイエスの片腕とも呼ぶべき目覚しい活躍が見られます。何世紀にも渡り教会を通じて手の届かない存在とされてきたイエスについて、生きた人間としての躍動感、リアルな人間模様がじかに伝わってくるため、まるで自分がその場に居合わせたかのような気分でした。

個人的にですが、この作品ではっとした部分がもうひとつあります。それはイエスの空白の青年期において、はるか東方のインドに赴いてヨギの修行をしたという記述があることです。本文中ではサラリとしか触れられていませんが、これは見逃せない点だったかも。

実は亡き祖父の愛読書のひとつに、パラマハンサ・ヨガナンダ(インドの聖者)の本があったのですが、その中でヨガナンダは瞑想を通じて繰り返し「イエスはその青年期にインドに来て霊的な修行をしていた」と述べています。(注:聖書にそのような記述は一切なく、イエスの青年期は今でも謎とされている)

いまとなっては検証する手段のない内容であるからこそ、東洋の聖者と西洋の作家の間にこのような一致を見るのは驚くべきことだと思います。

聖書は世界中の多くの人々を苦しみから救い出した偉大な書物かも知れませんが、幼い頃から疑問に思う事はいろいろとありました。それが本書を通じ、まるで長年の疑問のひとつひとつが解き明かされたような。。。もしかすると、聖書よりもこちらのほうが辻褄が合っているように思われるほどです。もっとも、こちらはあくまでも小説という位置づけではありますが。

久々に良い本に巡り逢いました。ナオミちゃんありがとう!

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