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2011年1月7日

フェデ&クリス合流

ノンボリに居る間、携帯SMSで連絡を取っていたフェデ&クリスの2人が近くに来ている事が分かり、「せっかくだから、ノンボリで合流しませんか?」とお誘いしました。ああ、こんな僻地でも使える携帯電話って便利。

若い2人はバイクでバンディアガラ~ドゥルーへ一気走り。我々は予めドゥルーに使いの少年をよこし、2人は翌日少年達と一緒に例の断崖を降りてはるばるノンボリまで来てくれました。「ここまで徒歩で来るのは大変だったけど、あの崖からの眺めが素晴らしかった!来て良かった!」と大喜びの2人。こちらもお誘いした甲斐あって嬉しい。(^_^)

それからは「フェデ達+我々」のガイジン4人組と、ガイドを努めてくれたダヴィドと地元のコルカ青年の総勢6人で、あちこちトレッキングをしてまわりました。

■ ノンボリの見所を探検
まずは今いるノンボリの探検です。この村は、それ自体が見所といっても差し支えない景観を誇っています。ノンボリの最高所には、泥で作られた穀物倉庫群があります(写真)。

その一方で崖の中腹に目をやると、無数の小さな建築物が見えるのですが、これはテレム族(Tellem)と呼ばれるドゴン以前の民族が残した遺跡です。とても人間がよじのぼってアクセスできるとは思えない場所にあり、テレム族がどうやってあれらの建築物を残したのかは未だに大きな謎とされています。

その他にもノンボリには小さな博物館があり、ドゴン族の木彫りの傑作など興味深い展示物を見ることができます。展示方法もモダンでセンス良し。写真撮影OKなのも嬉しいです。入場料は500CFA。

■ 崖上のイジェリ・ドまで登る
ドゴンの村々は、「崖下の村」と「崖上の村」に分かれます。バンディアガラの断崖は標高差が500mもあって行き来するだけで大変なのですが、コルカ青年が「崖上のイジェリ・ド村まで案内するよ」と提案してくれたので、さっそく行ってみることに。

崖登りは予想通り私ひとりでヒーヒー言ってましたが、皆に待ってもらいつつなんとか登頂。ふう。

イジェリ・ド(Idiely-Do)の村では、村内の様々な家や建物を見せてもらいました。特にエキゾチックなのは、トンガリ屋根の穀物貯蔵庫です。家みたいに見えますが、住居ではありません(住居は石造りの建物のほう)。乾燥させたミレットを、上にある穴から投げ入れ貯蔵してゆきます。

さらに素敵だったのは、村から歩いてすぐの所に断崖の縁まで行ける場所があること。崖の頂上から空を飛んでいるような風景を見ることができます。崖の真下にはイジェリ・ナ(Idiely-Na)の村が一望でき、まるで鳥になったような気分。(イジェリ・ナは「下のイジェリ」、イジェリ・ドは「上のイジェリ」という意味らしい)

■ ティレリ往復18kmトレッキング
ピーターを始めとするヨーロッパ勢はほんと元気。「大丈夫、道はずっとフラットだから楽勝だよ!」と言われて9km離れたティレリ(Tireli)の村までトレッキングに行くことになりました(往復18km)。そんなに歩いて大丈夫なのか運動不足の私。(((゚゚Д゚゚)))

ノンボリ出発後、イジェリ・ド、そしてコンボカニといった村々を経てティレリへ。朝8時に出発したので午前中はだいぶ涼しく過ごしやすかったです。

道中、学校があれば必ず見学させて貰っていました。特にコンボカニの学校建築が非常に良い出来だったので、ピーターは後学のため関係者にいろいろ質問して回ったり、写真を撮ったり。

一方、ティレリの学校は出来たばかりだというのに、既に床がひび割れてボコボコになり窓枠が壊れたりしていました。「質の悪い材料を使うと建物が長持ちしないんだ」とピーター。ノンボリに校舎を新設する際には、ぜひこういった考察がフィードバックされると良いですね。

■ ノンボリに不幸の知らせ
なんとか無事に18km歩き通してノンボリに帰ってきた頃にはもう日没でした。

カンプマン(宿)に戻ってみると、主人のダウダが慌てた様子で駆け寄ってきました。

「ピーター、戻って良かった。実は今日の昼過ぎ、モプティのイッサから私あてに電話があって。。。オランダの父上がお亡くなりになったと。。。」

実はトレッキング中は運悪く、ピーターの携帯も私の携帯も繋がらない状態でした。そこで、オランダの親族がモプティのイッサに電話をかけて急を知らせ、イッサがノンボリに電話をかけるという壮大な伝言リレーになったらしい。

「。。。覚悟はしていたが、まさかこんなにも早く父が。。。」

危篤の父上を見舞うため、僅か3日後にモプティ~パリ直行便の飛行機を予約していた矢先の出来事です。ピーターは黙ってノンボリの星空を見つめていました。。。

夜、主人のダウダを初めとする宿の関係者が「お悔やみ申し上げたい」とやってきて、ピーターを始めとする私達全員にドゴンの手作りの品々を贈ってくれました。そこまでする必要は全くないのに、きっとそうせずにはいられなかったのでしょう。ドゴンの人々は、なんだかとても心が暖かい。

「私は一週間後の葬儀に間に合うようオランダに戻る。君もどうせならオランダで少しゆっくりして、アムステルダムから日本に帰ったらいいだろう。」

再びオランダへ。。。フローニゲンで世話になったハンスの顔が浮かびます。
これも何かの縁なのでしょうか。


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