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2010年1月3日

社会のモノサシ

先月の話の続きです。フランスがどうやって少子化を克服したのか興味があったので、さっそくフランスの子育てが、日本よりも10倍楽な理由という本を買ったんですが、読んでみたらドビックリの連続。。。所変われば人生はこんなにも変わるものかと。いろいろ驚きでしたが、一番印象に残ったのは子を持つ親と社会とのかかわり方の違いかも。

自分の女友達で専業ママになったのが何人かいます。それは女性にとって理想的な人生とみなされているし、そういうポジションに憧れる未婚の女友達もたくさんいます。だけど、理想の人生を生きているはずの専業ママ達の発言には前から気になる事もありました。いわく「子供がいるから、もう仕事には復帰できない」と。

しかし、みんなママになる前はバリバリのキャリアウーマンで優秀な会社員でした。その知性の高さは会話に滲みでるし、どこに行ったって通用するだけの能力を持っているのは一目瞭然です。なのに、自分はもう社会では通用しないと諦めている。しかも理由は能力の欠如ではなく、子供の有無。なぜだろうと思って考えてみたんですが。。。

少なくとも日本の都市圏では「安定した賃金が得られる仕事」=「正社員かつ長時間労働」を意味する事が多いです。当然ながら長時間労働と子育ては両立しません。さもなくばパート、派遣のような非正規雇用しかないわけで、キャリア時代のような社会能力の評価は望むべくもない。フランスのように正社員の労働時間が週35時間だったり、まして1ヶ月働いて1ヶ月休むといった柔軟なワークスタイルを選べる企業は聞いたことがありません。仮にあったとしても、その分夫の仕事の時間を減らせるわけではないし、自分だけ労働時間が短いと周囲の同僚に後ろ指さされるという日本特有の無言のプレッシャーもある。
そういう目に遭うと分かっていたら、例え能力があっても日本では子持ちの母のまま企業の正社員として社会復帰する事は非常に勇気が要るだろうな、と思います。

本書によればフランスでは母親も父親も共に働き、共に子育てをするのが当たり前なのだそうです。それを可能にしているのは政府による経済的に手厚い保護もあるけれど、それよりも男性も女性も性別に関係なく「社会参加する事が人間の幸せ(自己実現)の必須条件である」という精神的な了解が行き届いている事のほうが大きいと感じました。

フランス人にとっての社会参加(=仕事)は、家庭を守り子供を育てるという人間の基本的な営みと矛盾を起こさないよう、社会全体の意見を反映させながら慎重に築かれてきたものらしい。そういう意味で、金儲けや経済成長を最優先する雰囲気はないのだとか。
そこには摩天楼もなく、24時間営業のコンビニもない、日本では考えられないような非効率で不便な事もいっぱいあるといいます。だけど安心して子供を産み、経済的な不安なく子供を大学にまでやることができる事だけは確かなようです。

これは日本とフランスのどっちが優れているかという違いではなくて、「何を大切と思うか」のモノサシの違いではないでしょうか。フランスは人生の質を高めることが重要だと思っているのに対し、日本は経済的成功が重要だと思っているから今のような姿になっているのだなぁと改めて感じました。

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