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2011年1月8日

モプティでワゴンRお別れ

いよいよ出発の朝、「良かったら貴方のテントをCampement Baobabに寄付してくれないか」という話になったので、テントを贈呈することにしました。メッシュテントは西アフリカでは快適だし、何よりマラリア対策に最も効果的です。

ロシアでミーハ達に貸し出し、西アフリカでも屋上テラス泊で重宝してきた想い出のテント。ポールが少し折れ曲がって、中は砂でジャリジャリだったけど、ノンボリに残したほうがきっと役に立つでしょう。(高価なテントにしなくて正解でした)

再び断崖を登ってドゥルーの宿に戻り、預けてあったワゴンRとフェデ達のバイクを受け取り。ドゥルーでダヴィドと奥さんを乗せて、4人で25km離れたバンディアガラの街に戻りました。皆にお別れを言った後、ピーターの運転で一路モプティ(Mopti)へ戻ります。

来る時は2日がかりであんなに遠いと思っていたのに、朝9時にノンボリを徒歩で出発したら午後4時にはモプティに到着してしまった。。。ビックリです。やっぱり帰り道は勝手が分かっているので全然ラクですね。

■ 航空券予約で偽造パスポート疑惑
途中、セヴァレ(Sévaré)の航空券の代理店に寄って、私のパスポートを提示する必要がありました。モプティ~パリ直行便の航空券(Point Afrique)はイッサが手配してくれたのですが、私の国籍が日本だと言っても「中国人かもしれない」と言われ、信じて貰えなかったらしい。

何で中国人だと問題なの?と聞いたら、「以前、ビジネス目的の中国人達に偽造パスポートで航空券を予約され、後始末が大変だった。日本人なら全然問題ないが、東洋人は念のため必ずパスポートを確かめさせて貰っている」とのこと。

うーん、中国人はいまやアフリカ各地で道路建設をはじめとする開発プロジェクトに携わっており、現地のインフラを急速に向上させている救世主のような存在です。そんな彼らが偽造パスポートで航空券を予約?何のために?わけわからん。。。

■ 最終走行距離は110,864km
いろいろありましたが、これでワゴンRとのドライブは本当に最後です。なんだかんだでモプティのイッサ邸に帰着した時、オドメータは110,864kmを指していました。東京を出発した時は81,520kmだったわけですから、

110,864km - 81,520km = 29,344km 走った計算になります。。。まあ3万キロくらいか。

東京から西アフリカまで最悪の場合は4万キロと見積もっていたのですが、ここモプティまで3万キロ未満だった事を思うと、取り越し苦労だったかなぁ?でも、ここまでしっかり走りきってくれたワゴンRに何と感謝してよいか。

■ 記念にナンバープレートを外す
マリでイッサが車両を登録するにあたり、特に国際ナンバープレートを提出する必要などはないとの事だったので、「よーし、じゃあワゴンRのナンバーは我々のみやげに持ち帰ろう!」とピーターが張り切ってくれました。(日本でも国際ナンバーを返納する義務はありません。詳しくはこちら)

ワゴンRには前後2枚の国際ナンバーがついています。一枚をピーターが、そしてもう一枚を私がキープする事にしました。

「前のと後ろの、どっちがいい?」と聞かれ、私が選んだのはフロントのナンバー。洗車後でおおむね綺麗ですが、よく見るとフロントの方は、虫とか小石とか、いろんなものがぶつかった跡があります。

たった7ヶ月の旅行ですが、私にとってはこの小さな傷跡が旅路を思い出させてくれる気がしました。一方のピーターは「日本の珍しいナンバープレートが手に入った!」とクルマ屋らしくご満悦。

**** **** **** **** ****

ワゴンR、今まで本当にありがとう。
悪路に負けず、一度も故障どころかパンクすらしなかった君は、まさに日本の誇りです。
君のナンバーは1枚がヨーロッパに行き、もう一枚は日本に帰るんだよ。
君の事は、この旅行に関わった全ての人々が覚えてくれてる。
大勢の人々が君のことを気にかけてくれたし、イッサもきっと君を大切に扱ってくれる。
モプティの人々は、小さくて可愛らしい君を、羨望のまなざしで見てる。
どうか、末永く、この地で愛されてください。


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2011年1月7日

フェデ&クリス合流

ノンボリに居る間、携帯SMSで連絡を取っていたフェデ&クリスの2人が近くに来ている事が分かり、「せっかくだから、ノンボリで合流しませんか?」とお誘いしました。ああ、こんな僻地でも使える携帯電話って便利。

若い2人はバイクでバンディアガラ~ドゥルーへ一気走り。我々は予めドゥルーに使いの少年をよこし、2人は翌日少年達と一緒に例の断崖を降りてはるばるノンボリまで来てくれました。「ここまで徒歩で来るのは大変だったけど、あの崖からの眺めが素晴らしかった!来て良かった!」と大喜びの2人。こちらもお誘いした甲斐あって嬉しい。(^_^)

それからは「フェデ達+我々」のガイジン4人組と、ガイドを努めてくれたダヴィドと地元のコルカ青年の総勢6人で、あちこちトレッキングをしてまわりました。

■ ノンボリの見所を探検
まずは今いるノンボリの探検です。この村は、それ自体が見所といっても差し支えない景観を誇っています。ノンボリの最高所には、泥で作られた穀物倉庫群があります(写真)。

その一方で崖の中腹に目をやると、無数の小さな建築物が見えるのですが、これはテレム族(Tellem)と呼ばれるドゴン以前の民族が残した遺跡です。とても人間がよじのぼってアクセスできるとは思えない場所にあり、テレム族がどうやってあれらの建築物を残したのかは未だに大きな謎とされています。

その他にもノンボリには小さな博物館があり、ドゴン族の木彫りの傑作など興味深い展示物を見ることができます。展示方法もモダンでセンス良し。写真撮影OKなのも嬉しいです。入場料は500CFA。

■ 崖上のイジェリ・ドまで登る
ドゴンの村々は、「崖下の村」と「崖上の村」に分かれます。バンディアガラの断崖は標高差が500mもあって行き来するだけで大変なのですが、コルカ青年が「崖上のイジェリ・ド村まで案内するよ」と提案してくれたので、さっそく行ってみることに。

崖登りは予想通り私ひとりでヒーヒー言ってましたが、皆に待ってもらいつつなんとか登頂。ふう。

イジェリ・ド(Idiely-Do)の村では、村内の様々な家や建物を見せてもらいました。特にエキゾチックなのは、トンガリ屋根の穀物貯蔵庫です。家みたいに見えますが、住居ではありません(住居は石造りの建物のほう)。乾燥させたミレットを、上にある穴から投げ入れ貯蔵してゆきます。

さらに素敵だったのは、村から歩いてすぐの所に断崖の縁まで行ける場所があること。崖の頂上から空を飛んでいるような風景を見ることができます。崖の真下にはイジェリ・ナ(Idiely-Na)の村が一望でき、まるで鳥になったような気分。(イジェリ・ナは「下のイジェリ」、イジェリ・ドは「上のイジェリ」という意味らしい)

■ ティレリ往復18kmトレッキング
ピーターを始めとするヨーロッパ勢はほんと元気。「大丈夫、道はずっとフラットだから楽勝だよ!」と言われて9km離れたティレリ(Tireli)の村までトレッキングに行くことになりました(往復18km)。そんなに歩いて大丈夫なのか運動不足の私。(((゚゚Д゚゚)))

ノンボリ出発後、イジェリ・ド、そしてコンボカニといった村々を経てティレリへ。朝8時に出発したので午前中はだいぶ涼しく過ごしやすかったです。

道中、学校があれば必ず見学させて貰っていました。特にコンボカニの学校建築が非常に良い出来だったので、ピーターは後学のため関係者にいろいろ質問して回ったり、写真を撮ったり。

一方、ティレリの学校は出来たばかりだというのに、既に床がひび割れてボコボコになり窓枠が壊れたりしていました。「質の悪い材料を使うと建物が長持ちしないんだ」とピーター。ノンボリに校舎を新設する際には、ぜひこういった考察がフィードバックされると良いですね。

■ ノンボリに不幸の知らせ
なんとか無事に18km歩き通してノンボリに帰ってきた頃にはもう日没でした。

カンプマン(宿)に戻ってみると、主人のダウダが慌てた様子で駆け寄ってきました。

「ピーター、戻って良かった。実は今日の昼過ぎ、モプティのイッサから私あてに電話があって。。。オランダの父上がお亡くなりになったと。。。」

実はトレッキング中は運悪く、ピーターの携帯も私の携帯も繋がらない状態でした。そこで、オランダの親族がモプティのイッサに電話をかけて急を知らせ、イッサがノンボリに電話をかけるという壮大な伝言リレーになったらしい。

「。。。覚悟はしていたが、まさかこんなにも早く父が。。。」

危篤の父上を見舞うため、僅か3日後にモプティ~パリ直行便の飛行機を予約していた矢先の出来事です。ピーターは黙ってノンボリの星空を見つめていました。。。

夜、主人のダウダを初めとする宿の関係者が「お悔やみ申し上げたい」とやってきて、ピーターを始めとする私達全員にドゴンの手作りの品々を贈ってくれました。そこまでする必要は全くないのに、きっとそうせずにはいられなかったのでしょう。ドゴンの人々は、なんだかとても心が暖かい。

「私は一週間後の葬儀に間に合うようオランダに戻る。君もどうせならオランダで少しゆっくりして、アムステルダムから日本に帰ったらいいだろう。」

再びオランダへ。。。フローニゲンで世話になったハンスの顔が浮かびます。
これも何かの縁なのでしょうか。


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2011年1月5日

崖下ノンボリの学校

翌朝、トレッキングに必要な物だけをバックパックに入れ、徒歩でドゥルー(Dourou)を出発。と言っても、ノンボリ(Nombori)まで目に見える道があるわけではなく、かすかな踏み跡を辿るような感じ。うーん、これは地元ガイドの案内無しでは絶対に迷うなー。

しばらく進むとやがて平原が突然終わり、断崖の裂け目にあたる急な下り坂が現れます。
ちょ!すごい傾斜なんですけど!いきなりこんな所降りるの?ていうか登る時どうすんの?死ぬかも。。。orz

へっぴり腰で恐る恐る裂け目の急坂を下る私。見るとダヴィドもピーターも涼しい顔ですたすた先へ進んでいます。おーい、待って~(T_T)

するとダヴィド曰く「私達が子供の頃は崖の上にしか学校がありませんでした。だから崖下の子供達は毎日通学のために、この断崖を登り降りしていたのですよ」

こ、子供達が毎日500mの断崖を登り降り!?ドゴンの生活ってどんだけアドベンチャー?
などと面食らっていたところ、崖の中腹で突然視界が開けて目の前に断崖と砂漠の雄大なパノラマが!!おおお、これは凄い!

こんな絶景を拝めたというだけでも、徒歩で来た甲斐があったというものです。

「ここからノンボリの村がよく見えますよ」とダヴィドが言うんだけど、どこだろう?

良く見たら、向かい側の断崖の手前にネギ畑が見え、その隣の斜面に集落がありました。あれがノンボリか!もうひと頑張りだ!

やがて崖を下りきって木々に囲まれた豊かな平野を横切ると、人々が青々としたネギ畑を熱心に手入れしているのが見えてきました。所々に大きなバオバブの木が立っていて素敵。そして外人がやってきたと見るや、大勢の子供達が寄ってきて手を繋いできます。

あっという間に子供達の手で両手がいっぱいになったところで。。。
なんだろう、
なんか懐かしい感じがする。

そういえば昔もドゴンの子供達ってこんな感じだったっけ。無邪気に寄ってきて、黙って手を繋いで、どこまでも一緒に歩いて。
どうして7年も経ってるのに、しかも全然違う村なのに、何も変わってないんだろう。

あれからサハラ砂漠が舗装され、バマコへの道も整備され、田舎の街でもATMが使えるようになって、西アフリカは確実に近代化しているのに。。。
まるでドゴンの村だけ、永遠に時が止まっているみたいです。


■ ノンボリ新規学校建設プロジェクト
ピーターは到着するや、そのままダヴィドの案内でノンボリの学校に直行。現在ノンボリにはひとつ学校がありますが、小・中学校を兼ねているため非常に手狭です。そこでオランダの支援団体が募金を募り、ノンボリに新しい学校を増設するプロジェクトがスタートしました。今回、ピーターはその仲介役を担っています。



「私はオランダの子供達から、ノンボリの子供達への手紙を預かってきているんだ。まず、それを配らないとね。それから、ここの生徒の顔写真も撮影する事になってる。手伝ってくれるね?」
そう言ってピーターは、教室の子供達を順番に呼んで、オランダからの手紙を一枚ずつ手渡してゆきました。私は撮影班としてスタンバイ。どの子も、初めてのポートレート撮影に、はにかんだ笑顔を見せて可愛らしかったです。



それから現地の校長や教師陣と共に、新しい学校の建設予定地とされる土地を下見。
「えーと、新学校の予定地はここだったと思うんですが」「いや、あっちだったかな?」などと、校長先生含め 非常にアバウトな感じでナイス。うん、この際どこでもいいんじゃないかな。
何しろノンボリときたら、どこを見ても迫力ある断崖がそびえていて絶景ですから。



今回の訪問で一番重要だったのは、ピーターが携えてきたオランダ側からの質問書に対して、ノンボリの学校関係者から回答を貰うことでした。ノンボリ側の窓口は誰なのか?最低月一回はメールで連絡をとれる体制があるか?建設に必要な石材の準備にどの位時間がかかるか?施工開始後の進捗管理は誰が行う事になっているか?完成後の校舎のメンテナンスはどのように計画されているか?

どれも先進国だったら当たり前の内容ですが、電気も水道もインターネットもないノンボリでは難問です。学校建設に関わる10余名が会議室に集い、ああでもないこうでもないと頭を抱えてしまいました。そうなると見越していたピーターは、あれこれ助け舟を出しつつ、2時間くらいかけてなんとか回答をまとめる事に成功。お疲れ様です。



※追記:それにしても、ノンボリの人々にとってはメールのやりとりだけでも大変だと知ってちょっと衝撃でした。最寄りのネットカフェはバンディアガラの街にしか無いからです。ノンボリから徒歩で崖上のドゥルーへ登り、ドゥルーで誰かの車に乗せて貰って20km離れたバンディアガラへ行くのは往復2日がかりの大仕事。うひー。
そんな辺境の地ノンボリでも、携帯電話だけは繋がるというのが不思議。。。



■ ノンボリおすすめ宿情報
ノンボリには3~4箇所のカンプマン(宿)がありますが、中でもCampement Baobabはイチオシです!

斜面のかなり上のほうに建っていて、そこまで登るのが大変なのですが、その分見晴らしはドゴン屈指のベストビューで、ピーターも絶賛。背後にバンディアガラの断崖、そして正面には地平線まで続く砂漠を眺めることができます。
最初は付近の村のカンプマンを泊まり歩く予定でしたが、「よその村に行っても、これ以上眺めの良い宿はないだろう」という結論になり、ドゴン滞在中はずっとCampement Baobabを拠点にしていました。

宿泊は一人2000CFA/泊で、人数に応じた食事を注文できるほか、ミネラルウォーター等の販売もしています。オーナーのダウダ氏は非常に誠実な男性で村人の信頼も厚い人物。イッサの友達でもあります。ノンボリを訪問する際、ガイドか村人に「Campement Baobabに行きたい」と言えば案内して貰えます。


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2011年1月4日

ドゴンの村へのまとめ

見所の多いマリですが、中でも特に有名なのはバンディアガラの断崖(世界遺産)に沿って点在するドゴン族の集落です。一般にはドゴンの国 (Pays Dogon)と呼ばれる事が多いですが、地図にドゴンという地名があるわけではありません。

「オランダの支援でドゴンの村ノンボリ学校を作るプロジェクトがあるんだよ。今回、私は現地での調査交渉を任されているんだ。イッサ、売ったばかりの所すまんが、もうしばらくワゴンRを使わせてもらうよ」

とピーター、昨日イッサのものになったばかりのワゴンRのエンジンをかけ、いざバンディアガラ方面へ出発!快く送り出してくれたイッサに感謝しつつも、私の頭は早くも心配事でいっぱいに。
ねえねえピーター、道は大丈夫なの?ノンボリって全然舗装されてない所でしょう?
「そうだな、行ける所まで行って、駄目になったら徒歩だな」
ま、またか!! Σ(゚д゚lll)ガーン

モプティから70km離れたバンディアガラの街で、ノンボリ側の窓口だったダヴィドという教師と打ち合わせ。ダヴィドはノンボリの近くのドゥルー村出身のドゴンの民です。今回はガイドとして我々をノンボリまで案内してくれる事になりました。

「ダヴィド、このクルマでどこまで行けると思う?」
「ここからずっと悪路ですが、ドゥルーまでなら行けます。そこからノンボリは徒歩になります。」
悪路??悪路ってどんな??。。。と超ビビりつつ臨んだドゥルーまで25kmの未舗装路。



なっはぁんだぁ~♪ こぉんなの楽っ勝じゃ~ん♪
(などと余裕かましていられたのは、たまたまグイナ滝の後だったから。。。)

ドゥルーまでの道中は、所々に小ネギ畑が広がっていて青々としていました。周囲には立派な石垣が巡らされており、手入れが行き届いています。人々の素朴な暮らしが自然と調和していて、なんだかとても美しい。

途中の村の道端で、女性達がネギを丸めてネギボールを作っていました。料理の味付けに使うらしい。

ドゴン周辺は安定して水を供給できる川などが無いため、ネギ畑も水がある季節に限定されるようです。

村人の写真を撮る時にお金が必要な事もあります。今回はダヴィドが交渉してくれました。


ドゥルー(Dourou)の宿Campement Teriya到着。
ドゴンの主要な村には必ずカンプマン(campement)と呼ばれる観光客向けの宿があります。頼めば涼しい屋上で、蚊帳つきで寝させて貰えます。

宿泊料は、どのカンプマンでも一人一泊2000CFA前後。食事も注文できるので何も困りません。



ただ、ドゴンの村には水道や電気の設備が一切ないので、シャワーを浴びたりネットを使ったりといった贅沢は出来ません。

水は全て、毎朝女性達が近隣の井戸から汲んできます。頭の上に大きなバケツを載せて井戸と家の間を何往復もする重労働です。

夜は真っ暗で、満天の星が見事!



ダヴィドはドゥルー出身だったので、村の中を案内してくれただけでなく、家族にも会わせてくれました。(写真)

ドゴンの村では、長老にコラの実を渡したり、村人と長い挨拶を交わしたり、いろいろドゴン流のしきたりがあります。そういう意味でも、ガイドが一緒にいるほうが気兼ねなく行動できて安心だったりします。



。。。というわけで、モプティからバンディアガラを経てドゥルーまで一気にドライブして来ることができました。でも、ワゴンRはドゥルーの宿に預けて、明日からは徒歩で崖下のノンボリを目指すことになります。

ピーター、運転お疲れ様!



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2011年1月3日

マリでの車両売却手順

マリでの車両の売却手順は、略式と正式の2方法あるそうです。ピーターのような達人ディーラーは略式で済ませる事が多いようですが、今回は私の希望で、きちんと公的書類が残る正式な手続きをとってもらう事になりました。

  1. まず、売り手と買い手で価格交渉を行う。互いに金額に合意した上で、売り手側が代金を受け取ってから書類作成に入る。
    ※この時、どちら側が書類作成代金を負担するかも併せて合意しておく。
  2. ONT (Office Nationale de Transport)にて"Certificat de Vente des Vehicules Automobiles"という用紙を入手する。
    ※今回はイッサが用意してくれました。一介の旅行者が入手するのは面倒らしい。
  3. 車検証(日本語版)+登録証書(Registration Certificate)の2つのコピーを買い手に渡す。(原本を私がキープするため)
    入国時の一時輸入通関書類(Laissez Passer)+ECOWAS自賠責保険(Carte Brune)の2枚の原本を買い手に渡す。
    ※登録証書は現地ではCarte Griseと呼ばれる事が多いです。
  4. 2で入手した"Certificat de Vente"に必要事項を記入。売り手がサインすることで売却成立だが、この時点ではまだ厳密には公式書類とはいえない。
  5. 「Certificat de Vente」「登録証書のコピー」「登録証書(原本)」を市役所(Mairie)に持っていき、役人のスタンプを貰う。売り手(私)の立会いが必要。料金は10,000CFAくらい。※本来は役人による車両の目視確認なども必要らしいが、買い手が地元の名士イッサだったため、電話一本で手続きを簡略化することができた。
    →「Certificat de Vente」と「登録証書のコピー」にスタンプが押される事により、合法的な書類となる。
  6. スタンプ付の「Certificat de Vente」は売り手(私)がキープ。コピーを買い手に渡す。
    スタンプ付の「登録証書のコピー」を買い手(イッサ)に渡す。コピーは売り手がキープ。
    「登録証書(原本)」は、念のため私が日本に持ち帰る。
  7. 車両の関税の支払い+マリでの車両登録は、後日買い手(イッサ)が行う。ただちに行ったとしても最低10日くらいかかるらしいので、売り手が現地に滞在して関税支払の証明書を待つのはあまり現実的ではない。

ちなみにマリでの車両の関税はかなり高いらしいです。およその見積もりですが関税だけで1500~2000ユーロかかる可能性があるとのこと。先に合意した車両価格のほかに、この関税を追加で支払うわけですから、西アフリカで外国人から自動車を買う事が出来る人というのは、イッサのようによほど裕福な人でなければなりません。

。。。というわけで、役所のお墨付きでワゴンRをイッサに譲渡することができました。
以上が大まかな車両売却の流れになりますが、イッサの知名度(信用)が高かったお陰で、本来は複雑な手続きをかなり簡略化して貰えたのは本当に助かりました。普通アフリカだったら何日もかかりそうな手続きが、わずか半日で済んだのは驚きです!



ありがとうイッサ。これで私も安心してワゴンRをマリに残してゆく事が出来ます。


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2011年1月2日

僕が引き取りましょう

水に囲まれたモプティは、別名「マリのヴェニス」とも呼ばれる水の都です。到着した初日から、イッサの顔ききであちこちのホテルの年越しパーティをハシゴしたりして大変賑やかな年明けを迎えることができました。

さらに、モプティ滞在中はずっとイッサの豪邸に滞在させて貰う事に!なんとお手伝いさん達が食事の支度からお洗濯までしてくれるゴージャス生活です。。。

毎日のようにピーターと一緒に川沿いを散歩したり、イッサのオフィスまでPCを持ち込んでWiFiを使わせて貰ったり、モプティの港を一望できるカフェでのんびりしたり。
「だんな、ドゴン観光はお決まりですか?みやげ物買いませんか?」と寄ってくる連中も、
「あいにくだが、そういう事は全部イッサ・バロに任せとるよ。我々は彼の客人なんだ。」
「イッサ・バロの!。。。これは失礼しました」

モプティではそんな事が何度もありました。それほどイッサは街中の人々に愛され尊敬されているのだということが、私にもだんだん分かってきた。すごい人徳だ。

で、ワゴンRの件ですが。。。ピーターとイッサは折にふれて商談をしていたようです。2人の会話はすべてフランス語だったので、ピーターが最初にどんな金額を提示したのか知りませんが、ある日イッサがワゴンRを試乗する事になりました。

モプティの街をワゴンRで一巡りしたイッサは開口一番、
「僕は最初ピーターから電話を貰った時、クルマを買う気は無かったんです。でも実物を見て気が変わった。こんなに可愛くて、運転が楽で、エアコンまで付いてるなんて素晴らしい。ぜひ、奥さんにプレゼントしたいと思いました。僕が引き取りましょう。」

うわぁ、嬉しい!こちらはイッサのつてで知人のバイヤーを紹介して貰えるだけでも御の字だと思っていたのに、まさかイッサ自らワゴンRを引き取ってくれるとは。アフリカの人はクルマが壊れるまで乗り倒すのが普通ですが、イッサは違います。彼の所有している何台もの車両は、どれも本当に手入れが行き届いていました。
ううう愛しのワゴンR、おまえ本当にラッキーだなあ。良かったなあ。(T_T)

「だけどピーター、あなたのオファー金額はちょっと厳しい。僕としては。。。このくらいで」
と、ピーターに電卓を渡すイッサ。

「いやあイッサすまん。私もちょっと高かったかと思って反省したんだ。この金額でいいだろう」

「では商談成立ですね!」

固く握手を交わす2人。

え?え?何?何?いくらに決まったの?
私としては興味津々なのですが、ひとたびワゴンRをピーターに託した以上は、2人のビジネスマンの取引に首を突っ込むわけにはいきません。この取引によりピーターは利益を得、私は貴重な車両売却のプロセスを体験する事ができるのです。ちょっとワクワクしてきた。

帰り道、川辺の並木道を歩きながらピーターが一言、

「イッサはピー(自主規制)ユーロで買ってくれたよ」
な、なんですってえええ!?あのワゴンRにそんなすごい価値が!!?

いや違う。ワゴンRがすごいんじゃなくて、ピーターとイッサの2人が凄いんだ。。。
うちの子の真価を見抜いてくれて、本当に有り難う。


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