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2010年8月31日

デミトリー君と再会

そもそも今回の旅を思いついたきっかけというのは、去年の11月にさかのぼります。北極圏(Svalbard)に1週間ほど滞在したとき、UNISという大学の学生寮でお世話になっていたんですが、そこでサンクトペテルブルグ出身の超フレンドリーな男の子デミトリー君と出会いました。

東京に帰ってから「行きと帰りの飛行機で2回もサンクトペテルブルグ上空を飛んだよ!」とデミトリー君にメールしたら「2回もサンクトペテルブルグの上を飛んだなら、3度目は直接現地を訪問するしかないね!」と冗談が返って来たので最初はハハハハと笑っていたのですが。。。んん?まてよ?ワゴンRがあるじゃないか。。。とナイスなアイデアが訪れたのが全ての始まりでした。

というわけで、無事サンクトペテルブルグに到着した暁には、今回の旅のインスピレーションを与えてくれたデミトリー君に是非とも再会したいと思っていたわけです。

9ヶ月ぶりに再会した彼は22歳になっていて、去年会った時とは比べ物にならないほど英語が達者になっていました。「どうしたの、英語すごいじゃない!」「UNISでの生活で鍛えられたんだよ。大学では毎日英語だからね」「そうそう、みんな英語だったよね。そういえばドイツ人の○○は今どうしてる?。。。」などなど、UNISの思い出話に花を咲かせつつ、サンクトペテルブルグの歴史地区を散策。うーん、これって何だろう。東京で夢みたことがひとつ現実になった感じ。

サンクトペテルブルグ中心街の町並みはどこも美しいので、あてもなく歩くだけで華やいだ気分になります。最初はMarsovo Pole (Field of Mars)公園のベンチでおしゃべりしてたのですが、その後Cathedral of Transfigurationまで歩き、観光するつもりじゃなかったのに、意外と観光してました。
「よかったら僕の家に寄らない?母さんは仕事だけど、父さんと弟がいるよ」「ええっ!君の実家ってこんな中心街にあるの?」すごい、デミトリーってこんな観光名所に囲まれた所で育ったんだ。。。(日本で言うなら、京都の歴史地区に実家があるような感じ?)

その家は、すごーく歴史がありそうな建物の一室で、中は居心地よくしつらえてありました。デミトリー君と弟のセルゲイ君の寝室には、立派な本棚と熱帯魚の水槽が2つあって、窓辺にはサボテンが。おおお、ちゃんとした家だ~!なんかホッとする~!
しばしキッチンでお茶をご馳走になり、デミトリー君がが家族と一緒に過ごしたという黒海のリゾート地の写真を見せて貰ったりしながら、夕方まで盛り上がっていました。だけど、若い彼もいろいろ将来の事を考えているらしい。

「僕はあと1年サンクトペテルブルグの大学で勉強したあと、就職先を探さないといけないんだ。」「君はUNISで永久凍土の建設技術を学んだのだから、引く手あまたでしょ」「うん、そうなんだけど。。。できれば油田開発の仕事に就きたいんだ。でもコネがないから難しいかも」「ええっ!就職するのにコネが必要なの?」「そりゃあイイ所に勤めたかったら、紹介者がいる方が有利さ」おおお~、日本でもロシアでも就職の裏技はあまり変わらないらしい!でもデミトリー、君ほど優秀で人柄の良い学生だったら、どんな企業でも採用したいと思うよ!

この日、ひとつ大きな目標が達成できた感じ。本当に東京からワゴンRに乗ってサンクトペテルブルグまで来れて良かったと思いました。
デミトリー君、素晴らしい旅のインスピレーションを与えてくれて本当にありがとう!

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2010年8月28日

2度目のオイル交換

サンクトペテルブルグでは是非とも2度目のオイル交換が必要です。前回、ノボシビルスクのAVTOMIRで至れり尽くせりのオイル交換から7000km以上経っているので。
ミーハに相談したら「オイル交換の事なら心配しなくていい。叔父さんのジェーニャが今日、サンクトペテルブルグのAVTOMIRに案内してくれるって!」

おおお、AVTOMIRの支店だったら安心だ。さすがサンクトペテルブルグ、都会だけあって話が早い。

ジェーニャはその昔、軍隊でドライバーをやっていた事があって、クルマには超詳しいのです。この日早速ワゴンRを先導して貰って、念願のAVTOMIRにやってきました。うん、ちゃんとSUZUKI代理店の看板が出てる。はっはっは、これでオイル交換は済んだも同然だ。。。と思ったら、ミーハとジェーニャがAVTOMIRの窓口でのやり取りのあと、神妙な顔をして戻ってきました。

「ナオコ、ここのAVTOMIRでは君のクルマはダメだって」「えっ!?なんで!!だってSUZUKIの看板が出てるじゃない!(゚Д゚)」「違うんだ。同じSUZUKIでもここはヨーロッパ仕様の左ハンドル車しか診ないって。君のは右ハンドルだからダメだってさ。」ななな、なんですとー!!!! 「マジで?オイル交換もしてくれないの?そんなのハンドル関係ないじゃん!」「やつら、右ハンドル車は経験がないから無理だって言ってる。同じロシアでもここはヨーロッパなんだ。仕方ない、次を探そう。」

がびーん。予想外の展開。でも確かに、欧州車が主流な地域で右ハンドル車を整備する機会が無いのも無理はない。。。いやでも、ここロシアでしょ!極東から日本の右ハンドルの中古車に乗ってサンクトペテルブルグに来る人だって沢山いるでしょ。そういう人達はどうやって整備してるの?「大丈夫、ちゃんと日本車に詳しい店もあるから。ジェーニャについていこう」

次にジェーニャが連れてってくれたのは、なんと日本車専門のパーツセンターでした。中に入るとパーツの山でドンキホーテ状態。「ここにはありとあらゆる日本車のパーツが揃ってるんだよ。まずは君のオイルフィルタを調達しよう。」そう言って、ワゴンRに適合する怪しい車外品フィルタを2個ゲット。なんか無理やり探してきたっぽくて、大きさがマチマチなんですですけど。。。「心配いらない。径さえ合ってれば装着可能だから。」とジェーニャ。こういう時、クルマに詳しい人がいると本当に安心です。

それから再びワゴンRを先導して貰い、やがて着いたのはネヴァ側の北にある超ローカルな整備工場。その名も。。。"SAITAMA"!


「SAITAMAは日本車専門の修理工場なんだ。私が昔乗ってたホンダも右ハンドルでね、ここでお世話になってたんだよ」
おおおおこんなマニアックな店がサンクトペテルブルグあったとは!ジェーニャのお陰でなければ、絶対にこんな店を見つけられるハズがありません。超超超感謝です!!!

しかも工場内で「あのー日本の方ですか?」と日本語で声をかけられビックリ。振り返ると流暢に日本語を喋るメカニックさんが。
「私はイヴァンといいます。日本語を勉強しています。どうぞ宜しく」
うおおおおーーー!!びっくりしたーーー!イヴァンさん、日本語上手ですね。何年くらい日本に住んでたんですか?
「いえ、日本には一回も行ったことがありません。」
ウッソー!?じゃあもしかして日本人の先生に教わってるんですか?
「いえ、ロシア人の先生に日本語を教わっています」
えええええーーーー!?Σ(゚皿゚)


やばい、やばすぎるSAITAMA。日本語通じる(イヴァンさん限定)。ていうか何でSAITAMAなんだろう?埼玉県と何か関係あるんですか?
「いえ、全然関係ありません」
おおおお超COOOOOL~~~!!! サイタマ、サイコー!!!

あ、で肝心のオイル交換ですが、フィルタとオイル3L分のボトルを渡したら、ものの30分でさくっと終了。代金は工賃のみ。うわー、こういう職人気質な整備工場もあったのかぁ。府中のオフロードセンターを思い出すというか、なんかすごい落ち着く。
参考までに、SAITAMAの所在地を載せておきます:

AVTOTSENTR SAITAMA
住所:Ul.Vatutina 17 (St.Petersburg)
GPS座標:N59 57.854 E30 22.518
電話:542-22-15
http://www.saitama.ru/

※この店はウェブサイトは立派ですが、看板出してないので発見が難しいかもです。座標の場所に行ったら、付近の人に聞くか、壁に「САЙТАМА」と書かれた小さなプレートがないか探してみてください。





最初AVTOMIRに断られた時「こりゃもうダメだ」と長期戦を覚悟したけど、ジェーニャのお陰でその日のうちに完璧にオイル交換が済んでしまって、まるで魔法か何かを見ているようでした。さすが地元のエキスパートは頼り甲斐があります。
ありがとうジェーニャ!そしてミーハも通訳ありがとう!

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2010年8月27日

サンクトの歴史地区を観光

この日、ターニャが紹介してくれたサンクトペテルブルグ在住のカップル、セルゲイとリーザに初対面。またまた地元のエキスパートに見所満載の歴史地区をくまなく案内して貰う機会に恵まれて、本当にラッキー続きなんですけど!ていうか2人とも22歳。。。若っ!!! しかもリーザに至っては「あのーモデルさんか何かですか?」級の美女。ああもうロシア女性は本当に美しすぎてヤバイですよ。

待ち合わせはメトロ(地下鉄)のNevsky Prospect駅。この駅は有名なネフスキー大通りに面していて、サンクトペテルブルグ観光のスタートに最適です。実は2人とも働いているのですが、セルゲイはわざわざ夜の仕事が始まるまでの貴重な時間を割いてくれ、リーザは勤務中だったところを口実つくって会社を早引けしてくれたというから、本当に感謝なのです(T_T)。それでは、サンクトペテルブルグの素晴らしい名所をご紹介~。

■血の上の救世主教会
Nevsky Prospect駅を降りて一番ビックリしたのは、この壮麗な聖堂です。モスクワの聖ワシリイ大聖堂を思い出しますが、こっちの聖堂は色使いなどが非常にハイレベルでビックリ。若葉色・水色・白で塗り分けられたクールなタマネギ屋根のセンスには脱帽。これは思いつかないよ!

「血の上の。。。」なんて、なんかスゴイ名前ですが、ここはその昔、ロシア皇帝が路上でテロリストに暗殺された悲劇の場所らしい。別名はハリトリス復活大聖堂というそうです。ところが、ソビエト時代にはこの超美麗な聖堂をジャガイモの倉庫に使っていたというから、別の意味でビックリ(0_0)。こんなスゴイ建物をイモ倉庫にするなんて贅沢なこと、もっと思いつかないよ!

■カザン聖堂
もうひとつ、Nevsky Prospect駅の真ん前にドーンと建ってるのがこの巨大なカザン聖堂。なんでもサンクトペテルブルグで一番大きな教会らしい。写真では分かりにくいですが、半円型の列柱が壮麗な素晴らしい建築です。

結構歴史を感じさせる概観ですが、こちら現在でも現役バリバリのロシア正教会です。
ところが、これまたソビエト時代には「無神論博物館」なる用途に使われていたというから、当時のソビエト政府のぶっとんだ発想にはただ驚くばかり。これは日本で言うならアレか、靖国神社をマンガ博物館にします!位のガッツがないと対抗できないかも。。。

■エルミタージュ美術館
誰でも一度は聞いた事があると思われる程有名な美術館ですが、その昔は王宮だったらしい。たしかに、美術館にしては外観がゴージャスすぎるなぁと思いましたが。。。観光用なんですけど、入り口のあたりに馬車が見えます。なんか雰囲気たっぷりです。

「でも、エルミタージュ美術館に収められているのは外国のものばかりで、ロシアの美術品ではないんだよ」とセルゲイ。確かに、レオナルド・ダ・ヴィンチとかゴッホとかってロシア人じゃないなぁ。。。一度中に入ったら、とても1日では見切れないほどの量が展示されているらしいです。

■ウラジミル生神女大聖堂
ロシア正教会ではイコン(聖画)を非常に大切にしているのですが、その中でもウラジミルの聖母マリアのイコンが最もベースとなっており、その他の聖母のイコンは、これを複製したものであるとのこと。そしてこのウラジミル生神女大聖堂に収められている聖母マリアのイコンはその複製の中でも非常に正統性が高いそうです。

中を見学させて貰ったところ、金箔で彩られた立体的な聖母マリアのイコンの上に数々の宝飾品が飾ってありました。「あれは、聖母にお祈りして願いが叶った人々が、お礼として捧げた宝飾品なのよ」とリーザ。なんとも霊験あらたかなイコンを拝観できて光栄でした。

■聖イサアク大聖堂
これまたスゴイ聖堂です。巨大な柱がいっぱい立ってるんですが、これ全部、ばかでかい花崗岩(granite)から削り出した一本モノらしい。しかも、それぞれの柱をよく見ると、戦時中に攻撃を受けた傷跡がたくさん刻まれています。それだけでなく、金ピカの屋根が上空からの標的になりやすいという理由で、聖堂全体を布で覆って隠した(どんだけデカイ布なんだ)というからビックリ。

■おやつ
途中、セルゲイとリーザが休憩に連れてってくれた絶品カフェ。名前忘れたけど、ウラジミル生神女大聖堂の向かい側にあります。ココアとパイで、はぁ~極楽。。。リーザのおすすめチーズ入りとクランベリー入りの2種類を注文したのだけど、本当に美味しい。やっぱり地元の若者は良く知ってるなあ。

2人とも忙しい中、私に一日中付き添って詳しく説明してくれて本当に有難う!

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2010年8月25日

サンクトペテルブルグ到着!

ロシア西端の都サンクトペテルブルグにて、遂にミーハと4度目の再会を果たしました。

この日、どうやらミーハは勤務予定の病院でいろいろ準備があったらしく、襟付きシャツ(ネクタイもしめてたらしい)に革靴というパリッとした姿に変身していて「今日から僕は医者だからね」ですって。ぷぷぷ。この野生児が何を言う。

改装中のフラットの秘密
そして案内して貰ったターニャ達の本宅(家主不在)ですが、15階建ての集合住宅の12階で見晴らしGOOD!バス、キッチン、リビング兼寝室という質素な造りの小さなフラットです。

ただ、このフラットはいろんな意味で未完成で、ビックリしたのは水が出る蛇口がバスタブにしかないという事。キッチンはあるのですが、シンクがない。従って水汲みや食器洗いなどは全て風呂場まで行って実施です。ついでに言うとトイレにドアはなく、引越し用の発砲シートがカーテン代わりだったりして。

いろいろ話を聞いて分かったのは、どうやらロシアでは出来立て(もしくは中古)のフラットを安く購入し、自分達で内装や設備を立派に仕上げて、より高い値段で転売する、という面白い投資が若い人の間で普通に行われているという事。新築=完成品の日本とは大違い!というわけで、ターニャ達もこのフラットに付加価値を与えるべく頑張っていたようです。
ただ、ミーハ曰く 「この家は2年間ずっと作りかけなのさ!」 なのだとか。。。

※日本でも分譲マンションとかそういう売り方をすれば、DIYの楽しさと投資のワクワクが同時に味わえて面白いと思います。でも、年数によって問答無用に不動産価値が下がる日本の現行システムだと、あまりお金かけて改装するモチベーションが湧かないですね。買った時よりも高値で転売できるシステムがありさえすれば、日本でだってみんな頑張ると思うんだけど。

ここはイソーロー天国!
実はターニャの旦那のセルゲイがヴォロネジで仕事をしている間、このサンクトペテルブルグの留守を守っていたのは、居候の音楽家のスタッスとアーニャの2人。バグパイプやフルートなどの管楽器が得意なスタッスは根っからの旅人で、人生の大半を旅行に費やしています。完全にプロの旅行家というか、例えば500ユーロだけ握り締めてヨーロッパへ渡り、お金が尽きたら路上でフルートを演奏して稼いでいたというから超たくましい。旅行家だけあって英語は堪能です。

そんなスタッスの恋人のアーニャはその昔、サハリンの有名なロックバンドでヴォーカルやキーボードをつとめていた事があり、まだ小学生だったミーハを夢中にさせたという伝説の女性。鍵楽器が得意なアーニャは、現在スタッスの音楽に合わせてアコーディオンを演奏しています。この日はスタッスと2人で公園に行って、コンサートに備えるため大きなフルートの練習をしていました。

私が到着してからさらに、ミーハの医学校時代の同級生で心臓外科医になる予定のディモンも、このフラットにやってきました。寮への入居が決まるまでの間、ミーハと共同生活することに。彼は医療翻訳の資格を持っているらしく、かなり流暢に英語を話しますが
「~なぜならば中心街の宿は高価であり、寮への入居へは日数が必要であるから。。。」
といった調子で、なんとなく学術書っぽいしゃべり方をするのが素敵。

でもって、ミーハと2週間ばかりの珍道中を体験したというだけの理由でここにいる、怪しい日本人旅行者の私。ちなみに、ミーハ自身もここでは完全に居候だという事を考慮すると、私は「居候の居候」という事になります。ミーハはこの9月から2年間、サンクトペテルブルグの病院で精神科医としての勤務が決まっているそうですが、おそらく彼も当分このターニャ達の家で暮らすことになるでしょう。というわけで、ええと、スタッス、アーニャ、ミーハ、ディモン、青山。。。の居候5人組の楽しい生活がスタートです。

いやーまさか夢の都サンクトペテルブルグで、こんな賑やかになるとは。ていうか家主不在の家で5人全員イソーローって、日本じゃ考えられない展開ですけど、ロシアでは全く違和感がないのが不思議です。ミーハ、ターニャ、私を居させてくれて本当に有難う。

※2013追記:サンクトペテルブルグの車中泊情報をいただきました。埠頭(客船ターミナル)に、ホテル併設24時間ガード付き、500Rの立派なスタヤンカがあるそうです。場所はこちら(Google Map)

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2010年8月24日

サンクトペテルブルグ迄のまとめ

いよいよモスクワを出発し、サンクトペテルブルグへ向かいます。M10という幹線道路を使って距離は約700km、ワゴンRにとっては2泊3日で丁度良いくらいの道のりです。

■8/23 モスクワ~Torzhok付近 (約250km)
サーシャ曰く「MKAD(モスクワ外環道)経由でM10に乗り換えるのがお勧め」との事ですが、MKADって例の片側5車線のスゴイ道でしょ。ワゴンRで行ったら死ぬかも。。。とビビっていたところ「大丈夫、早起きして朝5時に出発すればMKAD空いてるわよ」って、ええええ~!!! 5時起きですか!うわー、久々に東京と同じ発想でビックリ。さすが大都市モスクワ。

。。。というわけで、5時おきして6時出発。(サーシャ見送り有難う!) GARMIN City Navigatorを頼りつつ、無事にMKADに合流。うわあああみんな速ええ~!! 80km/hでちんたら走ってたらブッ殺されそうな勢いです。しかも朝ラッシュでだんだん交通量が増えてきた。一番低速レーンで頑張って100km/h出してもバンバン抜かれます。うわーん怖いよー。

なんとか無事に幹線道路M10に乗り換え成功。ふう。M10はモスクワとサンクトペテルブルグという2大都市を結ぶ幹線道路ですから、さぞかし巨大で立派な道であろうと思っていたのですが。。。意外と片側1.5車線の普通の田舎道でした。ああ、こんな感じの道路だとホッとするなあ。しかも、途中いくつもの街の中を通り抜けていくので何となく賑やかです。この雰囲気、何となく日本の国道を思い出します。
この日はTorzhok付近にスタヤンカ付きのCafeを見つけて車中泊。

■8/24 Torzhok付近~Veliky Novgorod付近 (約300km)
ひたすらM10の田舎道を走ります。最高気温は28℃と大変涼しく(今までの45℃は何だったのだ!)、ロシアに来て初めてカルバサー(美味しいサラミ)の脂が溶けない事に感動しました。お陰様でパンがとっても美味しい♪デザートに好きなだけ洋なしを食べて極楽です♪

M10はたぶん、モスクワとサンクトペテルブルグを結ぶ主要道として、ずっと昔から使われてきた道だと思います。その証拠に、道沿いのGSは意外と古い形式の所が多く(メーターがアナログだったり)、最新設備を備えたRosneft等も見かけずちょっと面食らいました。でも道中はCafeだけでなくスーパーなどの食料品店も割とあるので困る事は何もありません。

ただし、Veliky Novgorodの街には立派なバイパスが出来ており、この区間だけは片側2車線の新しい道路になっています。ここは出来たばかりの道らしくGSもCafeも一切なし。うーん、いつもこういう時に限って日が暮れるのはなぜだ。仕方ない、次に見かけたCafeで有無を言わさず泊まる事にしよう。。。と、見つけたのはキャンプ場マークのあるスタヤンカ付きのCafe。なんか宿泊用のキャビンまであって、ちょっとヨーロッパ的です。おおお、だんだんサンクトペテルブルグが近づいてきた気がする。

■8/25 Veliky Novgorod付近~サンクトペテルブルグ (約150km)
ここまで来ればサンクトペテルブルグは目と鼻の先。ちょっと油断して朝スタヤンカで書き物をしたりしての~んびり過ごしていたら、あっという間に11時になって焦りました。しまった、リラックスしすぎだ。

さて、いよいよサンクトペテルブルグ。ターニャ達がサンクトペテルブルグにもフラットを持っていて(実はこっちが本宅)、就職を控えたミーハが先にそこに到着している事になっていました。とはいえ大都市のドライブに超ビビッていた私は、かなり手前からGARMINをCity Navigatorに切り替えてスタンバイ。M10から市内に入ると案の定、超立体的なIC群が目の前に立ちはだかり、もー訳が分かりません。もしGARMINが無かったら、ターニャの家に一発で辿りつくのは不可能だったと思います。。。。ふう。

でも、とにかく家の近くまで来れたぞ!ミーハどこだ?電話してみよう。プルルル。。。

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2010年8月22日

孤児院ボランティアMtg

日曜日、サーシャが再びアルバート通りに行くというので、またまたモスクワ中心街まで便乗させて貰いました。ただし今回は観光ではなく、カフェでのボランティアのミーティングです。私みたいな外国人が参加しちゃっていいのかしら?

実はサーシャは数年前から孤児院の子供達を助けるボランティアを主催していて、ほぼ2ヶ月毎に孤児院を訪れてはパーティを開催したり、子供向けの教室を開催したり、寄付を募って日用品などの物資を届けたりしています。ロシアの孤児院は地域によって支援状況が大きく異なり、モスクワから離れるほど経済的に厳しい状況とのこと。

最初はサーシャ達を中心とした数人の有志で活動を開始したそうです。まず、支援が必要な孤児院とコンタクトを取り、必要な物資のリストを作成し、子供達のパーティの段取りを決め、それからメールを通じて友達や同僚などに呼びかけを行います。「もし家庭で使わない日用品があったら子供達に分けてあげてください。パーティ用の食材等も歓迎です。現在不足しているのは石鹸が○○個、タオル○○枚。。。」
当時、手探り状態で発信した呼びかけに思いがけない反響があり、あっという間に必要な物資が集まったといいます。

ある時、施設の子供達に新年のプレゼントを用意しようという事になり、100人ほどの子供達全員に欲しいものを書いて貰ったところ、デジカメ、MP3プレイヤー、ローラーブレード等々、かなり高価なものばかりでスタッフ一同「本当に全員分用意できるのか」と頭をかかえたそうえすが、とにかくやってみよう!という事に。一覧に子供達の名前と欲しい物をまとめ、Webで誰でも閲覧できるようにした上でメールで協力を呼びかけたところ、なんとモスクワだけでなくロシア全土、はてはヨーロッパのおもちゃメーカーからも反響が。。。!

「あの時は、ほんとに奇跡みたいだったの」とサーシャ。連日のようにあちこちから贈り物が届き、子供達の欲しい物リストが次々と埋まっていったといいます。そして新年のお祝いの日、100人の子供達は一人残らず望みどおりのプレゼントを手にしたそうです。す、すごい。。。

最初は数人の有志で始めたこのボランティアも、いまや数十人のメンバーが活動するほどに成長したのだとか。この日も、若者が10人ほどカフェに集まって、次の孤児院訪問の計画について話し合っていました。どんなパーティにするのか、どんなお楽しみ教室を開催するか、そのためにどんな寄付を募るべきか。。。などなど。

もちろんロシア語のミーティングだったので全然意味が分からなかった私は、皆のそばでカフェの無料WiFiに接続させて貰ったりして遊んでいたのですが、ミーティングが終わるころ、サーシャがひとこと「ナオコ、次の孤児院訪問では子供達に寿司の巻き方を教える事に決まったのよ!」とひとこと。(既に100人分の割り箸をどうやって調達するかという所まで話が進んでいた。。。) ま、まじですか!(0o0)

みんな月に2回ほど、こうしてカフェに集まっています。しかも全然シリアスじゃなくて、みんなとっても楽しそう。だけど毎回トラック2台分もの物資を孤児院に届けるというから大したものです。わずかな人数の若者達だけで、年に何回もそんな大規模なイベントを成功させているという所が本当にビックリでした。私なんか東京に居る頃は自分の事だけで精一杯だと思っていたけど、それに比べるとモスクワの若者はものすごく意識が高いなぁ。サーシャ尊敬。。。

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2010年8月21日

サーシャとモスクワ観光

ぐずついた天気が続くなか、この日だけは信じられない快晴で、モスクワは見事な青空!いやー少し前まで森林火災でひどいスモッグが続いていたとは思えません。うん、これは間違いなく日頃の行いが良かったからに違いない。

でも複雑でハイスピードなモスクワ市内をワゴンRで運転する勇気が無かったヘタレな青山。サーシャが自分のクルマを出してくれて、モスクワ中心街まで連れて行ってくれました。ちなみにサーシャはモスクワ生まれモスクワ育ちの都会っ子。こんなエキスパートにモスクワの名所を案内して貰えるなんて、超ラッキー!以下に「モスクワに来たらココは外せない」的な見所を紹介したいと思います。

■クレムリン
サーシャが「あれがクレムリンよ」と教えてくれたのは、どこまでも続く赤い城壁。内部にデカイ建造物群がチラ見できます。クレムリンといえば昔はソビエトの共産党を指す代名詞でしたが、実際にはこの高い城壁に囲まれた宮殿エリアを指すそうです。現在もロシアの政治の中枢として機能しているため、内部は厳重な警戒が敷かれているとのこと。外には素敵な公園が整備されています。

■赤の広場
モスクワといえば「赤の広場」は外せません。でも知ってたのは名前だけで、どんな場所なのか全然見当つかず。実際にはクレムリンの隣にあって、こちらは誰でも自由に出入りできます。広場の入り口から見て左手側にグム百貨店、右手側にクレムリンの外壁が見えます。赤の広場には、モスクワの見所が勢揃いしている感じです。

■聖ワシリイ大聖堂 (赤の広場)
そして、広場の奥にはテトリスで有名なタマネギ形の屋根をした建造物があります(正式名称は聖ワシリイ大聖堂と言うらしい)。実際に目の当りにすると非常に壮麗で、さすが本物の迫力は違う!赤の広場サイコーです。ついにモスクワ来たぞー!と心の中で叫ぶ私。

■モスクワ道路起点
正真正銘の「モスクワの中心地」と呼べる場所がココ。モスクワからは無数の幹線道路が放射状に延びていますが、その全ての道路のOkm起点となる場所がここです。赤の広場のすぐ隣にあって、大勢の観光客が中央に立って願い事をし、コインを投げています。面白いのは、コインを投げる人のそばで、堂々とコインを拾っていく乞食さんが居るという事。生活のためらしいが、さすが。。。

■グム百貨店
赤の広場にはグム百貨店(GUM)と呼ばれる巨大デパートがあります。たいへん歴史のある美しい建築で、一見しただけではとてもデパートとは思えませんが、中に入ると海外の高級ブランド店が並んでおり、とてもセレブな雰囲気です。今でこそゴージャスな舶来品で溢れるグム百貨店ですが、ソビエト時代には完全に国営ショップで様々な国産品を取り扱っていたそうです。

■アルバート通り
モスクワ中心街にほど近いアルバート通りはモスクワっ子や観光客でにぎわう一大名所。通りの両側には土産屋やカフェが軒を連ね、絵描きが似顔絵を描き、音楽家がライブ演奏をし、大道芸人がパフォーマンスしていたりする大変活気あふれる場所です。歩行者天国ですが、夜になるとバイカー達が集うカフェもあります。3度ほど訪れましたが、何度通っても飽きない楽しい通りです。


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2010年8月20日

モスクワ寿司パーティ

モスクワ(Odintsovo)では、ターニャの友達のサーシャ夫妻のお宅でお世話になりました。なんとサーシャは電通グループのモスクワ支社で働いていて、つい最近東京まで出張に行っていたそうです。こんな所で日本の話題で盛り上がるとは思いませんでした。旦那さんのバユンはサハリン出身で、ミーハやアレクサンドルの古い友達でもあります。2人とも26歳のラブラブカップルです。

彼らの家でいろいろと日本の話をしていたら「ナオコはもちろん寿司を巻けるわよね?」とサーシャ。ええ!? 寿司ですか! こ、これは意外な展開に。ていうか日本米はあるの?米酢は?海苔は?と、いろいろ聞いたら、全てスーパーで手に入るらしい。恐るべし、モスクワ。

ちなみにここ数年、ロシア中でなぜか寿司が大ブームらしく、大都市圏ではあちこちにSUSHI屋があります。ただ、ロシアでSUSHIといえば日本では見たことも無いような巻き寿司(?)が主流。写真を見るとご飯が海苔の外側に巻いてあったりして、日本人の私から見るとかなりエキゾチックな食べ物なんですが。。。

実際にスーパーに行くと"SUSHI MEAL KIT"なる箱が約1000円ほどで売られていて、日本米、米酢、海苔、醤油、ワサビまでオールインワン。すっげー、こんなキット初めて見た。さらに2人は、寿司ネタにスモークサーモンの切り身とカニスティックとキュウリをチョイスしていました。まあ、巻き寿司だから何でもアリでいいかな。

しかし彼らの家に炊飯器なんかあるわけなく、当然ながらナベで米を炊かねばなりません。日本人代表の私が米当番になりましたが、マジ緊張です。なんとか無事に米が炊けても、今度は酢飯の味付けがイマイチ分からない。酢と砂糖と塩を混ぜて寿司独特の繊細な味を表現せねばなりませんが、キットのロシア語の説明を読んで貰うと「好みで適当な量を混ぜればよろしい」と恐ろしくアバウトな表現あるのみ。
大丈夫なのかロシア人。一体どんな味の寿司を食べているのか大変心配ですが、多少の失敗は大目に見てもらえそうで少し安心しました。

ここまで準備できると、サーシャとバユンは慣れた手つきでどんどん海苔巻きを作っていきます。見ると、当たり前のように海苔にサワークリームを塗っています。おおお海苔とサワークリーム!なんてエキゾチックなんだ!そして酢飯の上にスモークサーモンとカニスティックとキュウリを乗せて一丁上がり。なんか本格的な感じです。

そして2人はひるむことなくワサビを醤油に投入し、東京みやげのお洒落な箸を使って器用に寿司を楽しんでいました。私も一緒に頂きましたが、ロシア寿司はとても美味しかったです。まさかモスクワで日本食に出会えるとは思わなかったのでちょっと感激。

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モスクワ迄のまとめ

ヴォロネジからモスクワまでは僅か550kmほどの距離ですが、のんびりワゴンRにとっては2日分。モスクワの道路は「蜘蛛の巣」と呼ばれていて、幾重にも重なるリング状の外環道と中心部から放射状に広がる幹線道の組み合わせで成り立っています。(このうち、ヴォロネジとモスクワを繋ぐのはM4と呼ばれる幹線道で、これに乗りさえすれば自動的にモスクワに到着します。非常にシンプルでGOOD。)

■8/19 ヴォロネジ~Mordves付近 (約370km)
森林火災の影響で未だにスモッグがたちこめているとの報道があったモスクワ方面ですが、この日は目を見張るほどのすばらしい青空が戻ってきてビックリ!気温は25℃前後と大変涼しく、途中何度かザーザー降りの夕立もあったほどで、森林火災の件は完全に終焉を迎えたと思われます。(なんともタイミングの良いときに出発できてラッキー)

幹線道M4は、ヴォロネジからYeletsあたりまでは片側2車線の大きな道で、付近にはGSやCafe等も多いです。そこから先は片側一車線の田舎っぽい道になりますが、ちょうど日が暮れかかった頃に、GSもCafeもまばらになってきてちょっと焦る私。結局、モスクワまであと130kmという所(Mordves付近)でやっと見つけたスタヤンカ付きのカフェで、いつも通りボルシチを注文。これがまた美味しかったんですが。。。

車中泊していたところ、夜中に突然背中が痒くなって飛び起きた私。見ると、体中にカユカユが出来ています。うわあ、アレルギーだ!さっきのボルシチに何か身体に合わない物が入っていた可能性高し。しかし、起こってしまったものは仕方ありません。カユカユはやがて手足に広がり、明け方には全身が蚊に刺されたみたいになっていました。うひー、痒すぎてとても眠れない!

■8/20 Mordves付近~モスクワ郊外のOdintsovo (約200km)
寝不足のヨレヨレ状態でスタヤンカを出発。ていうか手足がまだ絶賛カユカユ中。しかしモスクワ周辺で交通量も増えてきたので、気が抜けません。途中、東京もビックリのとんでもない渋滞が何箇所かありましたが、いずれも原因は自動車事故。うち一件は長距離トラックが中央分離帯を突き破って、片側2車線を完全に塞ぐ形になってました。一体何が。。。。

私はモスクワ西部のOdintsovo(アディンツォーヴァ)という郊外の街で、ターニャの友達の家を訪ねる事になっていました。私がとったルートは、M4(北上)→A107(時計回りで西へ)→M1(東へ)→Odintsovoという形で、あえて大きく遠回り。3つあるモスクワ環状線の中でA107を選んだ理由については、以下の通りです。。。

モスクワの3大リング
モスクワ周辺を道路地図で見ると、大きな3つの環状路で取り囲まれている事が分かります。M4、M10などの"M"のつく幹線道路を乗り換えるには、いずれかの環状路を利用することになりますが、地図で見るだけでは、それぞれの道路の規模が全く分かりません。それぞれスピードや交通量が違うので、もし車両でモスクワを通過する予定のある人は参考にしてください。

(1) MKAD (ムカッド) -- これがモスクワのメインの環状線で、一般的にMKADより内側のエリアを"モスクワ"と呼びます。MKADは片側5車線の高速道路で、交通量も非常に多いです。通常はハイスピードで流れるそうですが時間帯によっては大渋滞らしく、いろんな意味で都会的。MKAD上ではGS以外に休憩できる所はなさそうでした。

(2) A107 -- MKADの外側にある2番目の環状路です。こちらは片側1車線のノンビリした田舎道でワゴンRにぴったり。ちょっと遠回りになりますが、MKADの大渋滞を避けるにはベストの迂回路です。田舎道なので路肩に駐車して休憩することもできます。ワゴンRはここを通ってOdintsovoへ向かいました。

(3) A108 -- 3大リングの一番外側にある環状路。通ったことはありませんが、おそらく片側1車線の田舎道で、交通量はA107より少ないと思います。モスクワに全く用事がなくて、なおかつノンビリ時間をかけてスルーしたい人向け?

ちなみにモスクワ周辺の道路は正常時はそこそこ速いのですが、事故渋滞などに突入するとピクリとも動かなくなって、落差激しすぎです。周囲のドライバー達がエンジン停めて車外に出て悪態をつきはじめたら、30分~1時間渋滞コースだと思って間違いありません。

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