Shebalino以降はありえない急坂の峠が続いたりして、過積載ワゴンRは泣きそうな30km/h位でカメのように登ったりしてました。しかしアルタイ山脈の奥に入っていくにつれて、フツーでない景色が延々と続きます。荘厳な岩山が神殿のようにそびえたち、渓谷は果てしなく続く花畑に彩られて。。。。まさに想像を絶する世界。
あまりの素晴らしさに感動してなんとか写真に撮ろうとするのですが、このスケールのでかさの前ではもはやカメラなど無意味でした。繰り返しアルタイを訪れているセルゲイさんが本当に魅せられているものはこれだったのか、と心から納得。こればっかりは実際に現地に赴く以外に体験するすべがないので、何度も訪れたくなるのでしょう。
この橋渡れ事件
やがて夕方になり、そろそろキャンプ地探しです。Ongudayの村を過ぎてしばらく行ったあたりに、大勢のキャンパーが集まっている谷あいの草原を発見。でも現地へ至る道がなにやら急坂な感じだったので、ミーハ達2人に道を偵察に行って貰います。
ところが、おかしなことに1時間以上待っても誰も戻ってきません。何をやってるんだろう?と思ってひたすら待っていたら、やがてびしょぬれのアレクサンドルが戻ってきました。「なんでそんな濡れちゃったの!?」「橋から落ちたんだ」「はあ!?」
ワゴンRを誘導してもらって、キャンプ地に到着。付近には同じく家族連れが来て大きなテントを張っています。うん、快適そうでイイ所だ。2人とも焚き火はどこでするのかな?と思ったら、ミーハがすぐ横の小川に渡してある怪しげな2本の丸太を指差して、
「ナオコ、この橋を渡るんだ」「やだよ、そんな危なっかしい橋。キャンプならこっちの草地で十分じゃない」「違う。この橋を渡った中州でキャンプする」「はあ?マジで!?」「なんてこと言うんだ。僕等は君が安全に川を渡れるように、斧を借りて木を倒してこの橋を作ったんだ!お礼を言って欲しい位なのに"マジで!?"なんて言われるとは思わなかったよ!」(すみません、そんな事これっぽちも頼んでないんですけど。。。1時間も帰ってこないと思ったらこれか!)
もはや訳の分からない展開に泣きそうになりながら、一歩間違えたらズブ濡れ確定の丸木橋を恐る恐る渡ります。他の人はみんな快適な草地でキャンプしてるのに、なんで私達だけわざわざ苦労して中州に渡る必要があるのよう、うひーん。快適なものを一切拒否して、あえてワイルドな方向へ行こうとする2人が暴走中です。
小雨が降っていたので、中州の森にミーハのブルーシート(例のテントとか言ってたやつ)を高く張って、その下で焚き火。そして2人が寝られるように私の「パラートゥカ」を設営させて頂きました。晩ごはんは、パスタと炒め物とサラダ。うん、確かにブルーシートの下で焚き火すれば、3人とも濡れずに食事できるから快適だな。
私はいつもどおりクルマで寝るので、結局誰よりも橋を往復することになりました。おかげさまでバランス感覚も身につき、怪しい丸木橋も慣れたというかなんというか。とにかく一度も川に落ちたりしなくてヨカッタ。
地元のアルタイ人との交流
ここの草原には地元のアルタイ人が馬に乗って草を食べさせにやってくる場所らしく、何人ものカウボーイ(本物)を見かけました。彼らの乗馬術は本当に見事で、トライアル車でも難しいんじゃないかと思うような急坂を、魔法のように駆け上っていきます。か、かっこいい~!
ミーハ達がアルタイ人のカウボーイ達にタバコを渡すと、彼らの馬に乗せてくれました。アレクサンドルなんか、初めてなのに凄く乗馬がうまいのでびっくり。その辺の草原を走り回ってました。私はビビってすぐに降りてしまいましたけど。。。
ここで出会ったアルタイの人々は親切で気さくでした。しかも東洋人の顔立ちをしているので、日本人の私にとっては親近感があります。だけど同じ東洋人なのに、アルタイ人は髪が茶色かったり、瞳が緑色だったりするのが不思議。緯度が高いところに暮らす人々は、白人みたいに色素が薄くなるのかなあ。
すっかりここが気に入った我々は、同じ場所で2日ほどのんびりしてたんですが、3日目に地元のアルタイ人の管理者がやってきて、キャンプ場の清掃代ということで100Rのご請求。もちろん、アルタイの人々が自主的に土地を維持管理する風潮は歓迎すべきことだと思います。でも、「ナオコ、この人は友達だ。100R払ってあげて」ってミーハ、完全に私のことを財布だと思ってるだろ!
※つまり2人は堂々と一文無しなのであります。ロシア人ヒッチハイカー恐るべし。